『原爆三十年』「Ⅰ 戦争と広島 二 県下の戦災─2呉空襲」より

呉市と防空

昭和19(1944)年中期以降に予想される本土空襲に対処するために、陸軍省・海軍省より出された「緊急防空計画設定上の基準」をみても、重要都市の防空的整備強化の順位において、(一)京浜(横須賀・立川地区を含む)、(二)阪神・名古屋・北九州・呉、(三)室蘭・広島・長崎・京都・佐世保・舞鶴となっており、広島市より上位にある。

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昭和19年5月、内務省は防空法を発動し、疎開実施中の防空重要地域および都市に呉市を追加指定した。ついで同年11月、内務省告示で、広島市(133ヵ所、8200坪)・呉市(85ヵ所、1万8140坪)に強制による間引疎開を指示した。

これによって呉市では建物600世帯分、人員492世帯が強制的に疎開させられている。その後20年7月までに第三次〜六次におよぶ強制疎開が実施され、6051戸(2万4204人)がとり壊されて防空地帯がつくられた。

いっぽう、空襲により罹災者が多数生ずることを予想し、20年2月には「呉市罹災者避難実施計画」を定めた。この計画によると、罹災者の避難先町村として、賀茂郡27ヵ町村、安芸郡7ヵ町村、豊田郡1ヵ村など三郡35ヵ町村を指定し、各家庭や寺・神社・学校・公会堂・劇場などへ合計20万8535人を割当てている。

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呉市における防空壕の建設

政府が昭和21年2月15日付で連合軍総司令部に報告した文書(「呉市に関する報告の件」)によると、市街地周辺の山ろくに公共の横穴式防空ごうのべ2万6000メートル、待避ごう2800ヵ所、市内民間工場で横穴式防空ごうのべ100メートル、待避ごう702ヵ所、個人の横穴式防空ごうのべ1200メートル、待避ごう4万3256ヵ所が完成していた。

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空襲の際の持ち物など

市役所に設置された呉市防衛本部は、市民に空襲の場合は防空ずきん、手袋(軍手)、簡易防毒面、雑嚢袋(手ぬぐい、はし、三角巾二枚、救急薬品、いり大豆一握りが入れてある)を持って退避できるようよびかけた。

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呉の空襲による被害状況

空襲警報は警戒警報225回、空襲警報91回(共にうち1回は訓練)*

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