『原爆三十年』より
昭和20年8月8日深夜、米軍第五八航空団・B29爆撃機91機により行われた焼夷弾による空襲
市街地の81%、1万179戸が焼失。全市民の81%(4万7322人)が被災し、341人が死亡した
昭和20(1945)年7月31日夜に来襲したB29一機は福山市を中心に、次のような空襲予告ビラ約8万枚を撒布した。
「あなたは自分や親兄弟友達の命を助けようとは思ひませんか、助けたければこのビラをよく読んで下さい。数日の内に裏面の都市(水戸・八王子・郡山・前橋・西宮・大津・舞鶴・富山・福山・久留米・高岡・長野──編者注)の内全部若くは若干の都市にある軍事施設を米空軍は爆撃します。この都市には軍事施設や軍需品を製造する工場があります。軍部がこの勝目のない戦争を長引かせる為に使ふ兵器を米空軍は全部破壊しますけれども爆弾には眼がありませんからどこに落ちるか分かりません。御承知の様に人道主義のアメリカは罪のない人達を傷つけたくはありませんですから裏に書いてある都市から避難して下さい。」
(『福山空襲の記録』49-50ページ)
救援活動は8/9早朝から開始
8月9日午前3時頃、福山駐屯の陸海軍両部隊による救護活動がはじまった。福山陸軍病院救護班は県立福山工業学校に、福山海軍航空部隊救護班は県立福山誠之館中学校に、それぞれ救護所を開設して、重症者ならびに無縁者を収容し、また現地診療、負傷者の収容活動にも従事した。罹災者避難所に予定されていた本庄町円照寺、東深津町王子山附近、奈良津町艮神社附近にも市医師会員が派遣され救護活動をした。
(53-54ページ)
福山市外からの救援