私は昔からオカルトが好きでした。ネッシーやスカイフィッシュ、UFOやキャトルミューティレーション、チュパカブラなどそうした情報が手に入る雑誌や漫画やテレビ番組など子どもながらできる限りアクセスしていました。その中でも妖怪/もののけという存在は幼い私を絶えず惹きつけました。水木しげる氏の『妖鬼化』(これで「むじゃら」と読ませる)シリーズは特に大好きで、古今東西日本各地の妖怪を地域別にイラストと共に紹介するもので、現在では完全版として全12巻もあります。そこにいるおどろおどろしさというものに、怖さと共に妙な魅力を感じていました。幼い私にとって妖怪とはどのような存在であったかを考えるに、私はそこに2つの魅力を感じていたのだと思います。

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1つ目、「別の仕方で世界を説明する」という魅力です。現在では自然科学の研究も技術も発展し、あらゆる現象は科学的な説明が可能になりました。しかし、そうした科学的説明ができなかった時代において、妖怪は1つの説明形式であったと思いました。つまり、なぜ時々家のところどころで何かで叩いたような音がするのか[i]、なぜあの人はいつもせわしなく走り回っているのか[ii]、そうした日常の中で日々感じる「なぜ?」を説明するための想像力が魅力的であったように思います。

2つ目、「恐怖の軽減の仕方」という魅力です。私たちにとって最も恐怖を喚起されることの1つが「なにがなんだかわからない」という状況です。何が起きているのか、なぜ起きているのか、だれに起こるのか、そうしたことが全くわからない状況というのは悪夢です。ではまず何をするかというと、名前をつけてこちらから呼びかけることを可能にします。名づけるという行為は単にある対象にペタッと名札が貼り付けられる以上のことを行うことなのですが、ここでは割愛します。この呼びかけによる恐怖の軽減が妖怪という存在には感じられました。

これら2つの魅力はすなわち妖怪を知ることで、昔の人々がどのように世界と関わろうと/コミュニケーションしようとしていたか、またはどのようなものに畏れ/恐れを抱いていたかが分かる、そのようにまとめられると思います。

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なお、「妖怪はいるのかいないのか」と問われれば、私は「いる」と答える立場にいます。加えて「しかし、知覚の仕方が現代では特殊な仕方で行われる」と言うと思います。それはすなわち、妖怪においては“目に見えるかどうか”が存在を保証するわけではないということを意味しています(南方熊楠は脳力とも表現しました)。後述しますが、妖怪が、目に見えるかどうかによって存在するかしないかの基準となることは、おそらく近世以降に徐々に作られていった価値観ではないかというのが私の予想です。それ以前において、妖怪/もののけは私たちの知覚を超えた、圧倒的他者として、「畏れ」と共に身体全体で知覚されていたと私は思っています。

念のため付言しておくと、そのような妖怪観がどの程度学術的な裏付けがあるのかと言われるとかなり怪しいので、本記事での主張は、ほとんど私の妄想に過ぎないと思ってもらっていいです。ただ、これから述べる私の“杞憂”は「妖怪の不在」が現代社会における際限なき消費と開発と暴力を可能にしているのではないかということです。その上で、そうした際限なき消費と開発と暴力への抑止力として推進されているSDGs、それに伴う「持続可能性」というものをラディカルに推し進めるとしたら、私は「妖怪」(特に中世頃の)が必要なのではないかと主張しようと思います。

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本記事で私が特に取り上げようと思うのは「つくも神/付喪神」という妖怪です。「付喪神」という言葉は中世、室町時代において御伽草子系の絵巻物である『付喪神絵巻』において登場します。それによると、道具は100年という年月を経ることで霊的エネルギーを持ち、付喪神に変化することができるといいます。付喪神は人を惑わせると思われていたので、人々はそうなる前に毎年立春の頃に古道具を路地に捨てました。ですが、もうある程度長く使われているとすでに霊的エネルギーを持っているんです。そうすると、その捨てられた古道具たちが節分[iii]になると「せっかく長年奉公したのにひどい!」として人間たちに復讐をはかるのです。

これが『付喪神絵巻』に描かれる付喪神の姿です。しかし、ここで注意しておきたいのは付喪神といった場合、道具だけを指すわけではないということです。小松和彦氏の『日本妖怪異聞録』において触れられているように、物に限らず人間や草木、動物も長い年月を経れば霊性を獲得すると考えられているので、こうした広義のものを「つくも神」、道具に由来するものを「付喪神」として仮に分けて論を進めています[iv]。つまりは、長く生きることで霊的エネルギーを持つようになったものの総称としてつくも神/付喪神はいたようなのです。

本記事において特に重要なのは、中世における「つくも神/付喪神」と近世以降における「道具の化けた妖怪」との間の差異についてです。「道具の化けた妖怪」と表現しているのには理由があります。小松氏によると、江戸時代あたりからか、妖怪がキャラ化しており、境界の向こう側にいた存在であったはずの妖怪が、人間側に取り込まれていったことを指摘します[v]。すなわち、妖怪が人間にとって怖くない存在となり、コントローラブル/操作可能な存在になったということです。たしかに、「化け傘」や「提灯お化け」などの道具が化けた妖怪はどこか可愛らしいうえ、祟るというようなイメージはなく、日常の中のちょっとした刺激のような感じで、いたずらっ子のようなイメージを持ちます。

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