2025.10 @東京芸術劇場アトリエウエスト 「Future Ideations Camp Vol.7:Super Sober Shamanism:同期・共在・模倣を演劇とテクノロジーの両岸から考える」

名前を他者や架空のキャラクターに貸すことによって、私の存在にぴったりとくっついた名前を緩め、引き剥がしていく。
本来自己とは多層性を持ち、不可知な部分を孕んだものなはずである。しかし、現代社会においては戸籍に登録された名前というコードによって、同一的な自己であること、そして常に人間であること(世界も自己の存在も疑わず、一秒も欠かさず社会に属すること)を強く要請されている。
本作品にあるのは他者が「私の名前は遠藤友咲です」と言うだけのきわめて単純なフィクションだが、その名前が私に返ってくるとき、そのコードには一体どんなものがこびりついているのか。

名前を他者や架空のキャラクターに貸すことによって、私の存在にぴったりとくっついた名前を緩め、引き剥がしていく。 本来自己とは多層性を持ち、不可知な部分を孕んだものなはずである。しかし、現代社会においては戸籍に登録された名前というコードによって、同一的な自己であること、そして常に人間であること(世界も自己の存在も疑わず、一秒も欠かさず社会に属すること)を強く要請されている。 本作品にあるのは他者が「私の名前は遠藤友咲です」と言うだけのきわめて単純なフィクションだが、その名前が私に返ってくるとき、そのコードには一体どんなものがこびりついているのか。

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生活者として見ても、自分の中にそれ以外の成分が入っていることは自覚しているから、単なる現実逃避だけでなく、この余剰を抱えている人間が生きていくためには(ある種の寄生獣や宿儺的な、圧倒的異他を飼っている)、社会との接点の持ち方、そのインターフェイスや、社会の中での自分の存立構造を変えなければいけない。少なくとも自分と接地している、周辺の世界は変えなければならない。