情報のやりとりが形作ってきたもの

人間は情報をやり取りしながら生きている。自分の望みを叶えるため、他者との関係を変えるために。内にこもるのではなく、外に表現し、開示することを選び、社会を生き延びてきた。

その営みは、身近で日常的なものから、世代をまたぐものまで、さまざまだ。仲の良い友人にこっそり意中の人を教えたり、聞いたりする。アプリで好きなコンテンツの通知を得るために興味関心を回答したり、回答を受け取ったりする。適切な医療を受けるために体調の情報を共有したり、尋ねたりする。

いち個人だけではなく、個人の集まりである企業などの組織も、同じように内と外の循環のなかで呼吸を繰り返しながら、関係を築き、よりよい社会を構築しようとしてきた。

企業は、顧客が今何を求めているのか、市場環境はどのように変化しているのかなどを感じ取り、それらを次の表現につなげる。その循環は企業が持続するうえでも不可欠だ。

こうした先代の人たちによる営みによって蓄積された知は、たえず私たちに恩恵を与えている。情報を渡し、受け取ることは、あなたが次世代もふくめ、社会とのつながりを築き、共同体のなかで生きると選択することでもある。

企業の扱うデータとその循環

だが、近年、その循環でやり取りされる情報の量は膨大になり、その道筋も複雑化している。個人や企業の間で、常に情報の循環が起き、いわゆる「データ経済圏」を成している。

その経済圏は、時間も空間も超えて、際限なく広がる。個人が数えきれないやり取りをすべて把握するのは難しい。「情報を渡したくない」と思っていても、渡す以外の選択肢はあまりに不便だったり、そもそも用意されていなかったりする。膨大かつ複雑で、選択の余地も限られる仕組みのなか、個人は情報を受け渡ししているという体感を失いつつある。

多くの企業は、世の中の情報をデータ化し、蓄積し、外部に還元し、不要になったものを適切に処理するという循環を、健やかに回しきれているとは言えない状態にある。情報を無思考に溜め込む、データを不用意に外部に開示してしまう、他の目的で流用してしまう——。 こうした事象が明るみになり、個人が企業に寄せてきた信頼が損なわれ、企業とやりとりをする意欲を失っていく例も少なくない。

循環を回すには多大な労力が必要だ。滞留させたまま見ないふりをするほうが楽だろう。だが、それで得られるのは一時的な穏やかさだ。滞留した情報やそれにともなう感情はいずれどこかで発散されなければいけない。それは濁流となり、システムを崩壊させてしまう。

見ないふりによって、私たちはシステム内外の変化を捉え、解釈し、外に表現する力、呼吸をする筋肉のようなものを弱らせてきた。そして、個人、企業などの組織、社会において、紛争がなくならない理由でもあると考える。

健やかに呼吸し、持続するために

本来、システムの内と外、たとえばユーザーと企業、社員と企業、人と家族は、よりよい社会を共に構築する関係にある。