何故ビジョンやミッションが必要なのか?

こういうのは言語化するのが難しいのですが、私が若いときから、ビジョン設計PJを何度もみてきたなかでいうと、なぜ必要なのか図を書いても全くわからなかったという記憶があります。会社を成長させるに従いその意味合いがわかってきたのですが、若手には響かないものだと思います。だけれども、チームというのは、そういうものなのだよと勉強して覚えて習得するのも非常に大切なスキルだとは思います。

世の中の仕事がそもそも分業されていくなかで(産業革命以降)、仕事は次第に細切れになって、タスク型に移行してきた。

現在では仕事がタスクとしてタスク管理ツールから設定されて、チームメンバーがタスクを処理をしていく。そうなると ”タスクをやってくれればいい”、もしくは、”タスクさえやっていればいい” というタスク中心の考え方に次第になってゆく。

また、タスク型になればなるほど、全体像というのが理解しづらくなっていき、全体像に宿る価値みたいなものが理解されないようになっていく。そうなると、そのタスクは何に役に立っているのかなど、次第に失われてしまっていく。

こうなってしまうと、その会社で働いる目的が失われてしまって、会社で作っているものに愛着もわかなくなるし、働いているという理由も希薄になってしまう。

もしクラウドソーシングの会社と同様に、弊社社員がタスクを処理するだけのクラウドワーカーになってしまえば、そういう会社にいるのと何も変わらなくなってしまう。(そもそもそういうのでいいという話もあるかもしれないが)

だけれども、そうなればなるほど、企画をしたり、新しいものを考えて作り出すという仕事こそ、いわゆる会社に求められる価値となっていく。チームとして楽しむというのは悪いことでもないし、その楽しさは楽しめるものであって、効率性だけを優先していいのだろうか?人の心はお金だけでは動かない。採用でも共感した人たちに集まってもらって、共感を中心として会社に集まっている状態を保ちたい。

もし、タスク処理するだけの社員の会社になってしまったら、会社としてのユニークさを失ってしまい、何かを生み出していくということはできなくなるだろうと思う。なので、価値観を大切にして、社員同士がその価値観の中で働いていくようにしないといけない。

もともと、ビジョンやミッションなどというのは、それより先に、もっと大きな目的があって、「仕事というのは誰かの役に立つというものである方が人生に意味合いがでる」だろうという事実を考えると、会社としてそれを持つのは当然だと思える。

会社で働いてくれている社員の人生に良い意味合いや、価値ある人生を歩ませていくというのは会社の責務だと思える。そうであるならば、当然理想を共有し働いていくほうがよい。

最後に会社というのは組織的であるわけだから、組織が同じ目標に向かって動かないと統率が取れない。そこで仕事の内容を適切にやる必要がでてくるのだけども、適切にやれるようにするには、何らかの依頼や命令が必要になる。特に神は細部に宿るというように、仕事の細かいことが大切になる場合、それを伝えることを何度も何度も伝えるのは、言われる方も、伝える方もストレスを感じる。そこで、ビジョン、ミッション、行動規範、などを決める。そうすると、共通認識が存在するようになり、細かい指示を出さなくても、その判断はその共通認識に沿うようになる。

働いている人が全員同じ環境で育ってきたわけでないので、さあ、働こういっても、その日から同じように働けるわけがない。また、ビジネスにおいて、大切にするものも育ってきた家庭環境によってそれぞれ違っており、そのままだと寧ろ会社にマイナスに働いたりする。こういうバラバラな行動に統一性をもたせるのもビジョンなどを設定する目的ともなり得る。

上記に書いたとおり、産業革命以降の分業制から更にタスク型になっていっており、それだけだと、会社のユニークネスが失われる。また、働くということ自体が社会において価値をもち、人生に価値や意味合いを持たせる会社でありたい。共感をもって集まり組織化された会社でいたい。

会社として組織的であり、組織としての統制を作り出す為には共通認識が必要になるということ。この3つがビジョンやミッションを定める目的だと思う。