ごくごく若い頃は、この曲は何だかわけがわからない曲だと思っていました。ワキとシテが言葉を交しているうちに、何となく構造が作られていて、知らないうちに伊勢物語の世界が謡われ、花の精だか業平の后だかはっきりしないシテが舞を舞っています。

のちにこれは、歌舞の菩薩を舞台上に再現しようとして、芸能による成仏とか祈祷とかを意図しているに違いないと、考えるようになりました。そうするとこの曲が腑に落ちてきました。

この曲の作者は世阿弥とも金春禅竹とも言われていますが、どうでしょうか。世阿弥は構造的にしっかり組み上げる形の創作を『三曲』で述べていて、それを破る形の創作を試みなかったとも言えませんが、少し違うように思います。「歌舞の菩薩」の再現についても、世阿弥自身の発想というよりも、後継者たちのもののように思います。

もちろん神秘思想の色濃い金春禅竹の作品という可能性もあるでしょうが、神秘の置き所が少し違うような気がします。私は世阿弥の子供の観世七郎\ruby{元能}{もとよし}の作品と考えています。『世子六十以後申楽談儀』で申楽を神の楽と述べた元能こそが、この作者に相応しいのではないでしょうか。

そしてもうひとつ不思議なことは、花の精が被る冠です。「またこの冠は業平の。豊の明りの五節の舞の冠なれば。」と詞章にあるので、私はずっと業平が舞を舞う時に被っていた冠だと思っていました。しかし調べると、五節舞は女性が舞う舞とのことで、『謡曲大観』(佐成謙太郎著)などには、業平が五節舞を観覧した時に身につけていた冠と解釈していますが、これは少し変な感じがします。

この、全体に詞章もしっかりと真直ぐで美しいのに、何か理屈に合わないものが含まれている作品は、他にも例えば「羽衣」「天鼓」などいくつかありますが、私はそこに元能が意図をもって忍び込ませた暗号のようなものを感じます。その伝で見ればこの烏帽子問題は、観阿弥がもとは女性の舞であった曲舞を申楽に導入したことを暗示しているのかも知れません。そして世阿弥は単なる芸能を、「歌舞の菩薩」にまで昇華しました。

武道は、身体修練によって自然界の力を自らの中に取り込む技術とも言えます。江戸の武士たちは、きっとこの曲が好きだったのではないでしょうか。

そんなことを思いながら稽古を重ねています。私の「杜若」がどのようなものになるのか、是非とも立ち合って見届けて下さい。

舞台までふた月余りの頃