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近代日本写真史における前衛写真は、海外から伝わってきたシュルレアリスムや抽象美術の影響を受け、1930年代から1940年代までの間に全国各地のアマチュア団体を中心に勃興した写真の潮流です。活発に作品が発表された時期が大変短かかったことから、今まで活動内容についての検証があまりなされていませんでした。しかし近年、各地の美術館により研究が進み、海外の展覧会でも作品が注目される機会も増えています。 それまでも写真にとって絵画の影響は強いものでしたが、前衛写真は画家だけではなく詩人やデザイナーなどが参加し、その活動の幅を広げていました。特に1937年に「海外超現実主義作品展」が開催されたことによって、多くの写真家が触発され新しい表現へ向かい、画家たちは写真を使って、絵画では出来ない表現に挑戦していきました。しかし、次第に戦時下体制の強化とともに各地で行われていた活動は収束へと追い込まれていきます。 時代の波にあらがうことができずに、戦争の陰に隠れてしまっていた作品を見ていただくことで、自由に表現できる大切さと、写真で表現できることの幅広さを実感していただけることでしょう。

展覧会構成第1章|インパクト―同時代の海外作家 前衛写真が大阪を中心に盛んとなるきっかけは、雑誌や写真集などを中心に同時代の海外の作家の作品に触れたことでした。『フォトタイムス』(1924年創刊 フォトタイムス社)『アサヒカメラ』(1926年創刊 朝日新聞社)などの写真雑誌のグラビアページや海外作家特集などにおいて、ウジェーヌ・アジェ、マン・レイなどの作家が紹介されます。また雑誌のグラビアだけではなく、実際の展覧会として展示されたのが、1931(昭和6)年に開催された「独逸国際移動写真展」と1937(昭和12)年に開催された「海外超現実主義展」でした。この2つの展覧会は東京だけではなく大阪などにも巡回しており、衝撃をうけた、と多くの作家が書き残しています。写真美術館の収蔵作品の中から、この時代に発表されたヨーロッパの写真家の作品を紹介します。

出品作家…マン・レイ、ウジェーヌ・アジェ、ハンス・ベルメール、アルベルト・レンガ―=パッチュ、セシル・ビートン、ブラッサイ

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ウジェーヌ・アジェ《日食の間》1912年 東京都写真美術館蔵

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マン・レイ《カラー》1930年頃 東京都写真美術館蔵

第2章|大阪日本の前衛写真は関西から広がっていったといっても過言ではないでしょう。その中心にあったのはアマチュアの写真家が集い、活動をしていたグループでした。「浪華写真倶楽部」は1904(明治37)年に創立され、現在でも活動を続けているもっとも古い写真クラブです。このクラブに所属している作家の中には1930年代に入った頃、それまで盛んであった絵画的な影響の強いピクトリアリズム写真から、欧米からの新しい写真に影響をうけた新興写真へとその作風を変化させていった人たちがいました。その「浪華写真倶楽部」から先進的な作品の制作を目指した上田備山、安井仲治を中心とし1930(昭和5)年に「丹平写真倶楽部」が結成されました。また同年にはヨーロッパから帰国し、芦屋に移り住んだ中山岩太を中心に「芦屋カメラクラブ」も結成されます。その後、1937(昭和12)年に開催された「海外超現実主義展」から強い影響をうけた平井輝七、本庄光郎らが同年に「アヴァンギャルド造影集団」を結成します。これらのグループの作品を通して、もっとも盛んに前衛写真の活動を行った関西の写真家の作品に注目します。

出品作家…中山岩太、村田米太郎、安井仲治、河野徹、小石清、天野龍一、平井輝七、樽井芳雄、本庄光郎、椎原治、田渕銀芳、服部義文、矢野敏延、小林鳴村、音納捨三、ハナヤ勘兵衛

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小石 清《疲労感》〈泥酔夢〉より 1936年 東京都写真美術館蔵

平井輝七《月の夢想》1938年 東京都写真美術館蔵

第3章|名古屋 名古屋の前衛写真は評論家や詩人、写真家が協同するような形で結成されていきます。 日本にシュルレアリスムを紹介した中心的な人物でもある評論家で詩人の山中散生、画家の下郷羊雄が中心となって結成された「ナゴヤアバンガルド倶楽部」の写真部会が独立し、1939(昭和14)年に「ナゴヤ・フォトアヴァンガルド」が結成され、詩人の山本悍右も参加します。その中心にいた人物が坂田稔です。坂田は大阪在住時代に浪華写真倶楽部に所属し、1934(昭和9)年に「なごや・ふぉと・ぐるっぺ」を結成しました。また『カメラアート』(1935年創刊 カメラアート社)や『フォトタイムス』などの写真雑誌に自身の写真論を展開し、名古屋のアマチュア写真家の同人誌である『カメラマン』(1936年創刊 カメラマン社)の中で「前衛写真再検討座談会」で中心的な発言を行います。彼は福岡を訪問し、ソシエテ・イルフのメンバーにも影響を与えていました。

出品作家…坂田稔、田島二男、山本悍右、後藤敬一郎