UPHYCAでは季節の移ろいとその現れを、『みなもとのはは』と彼女の『けもの』の交わりの物語とする。彼女の『けもの』を『おおきなけもの』『こよみのけもの』と呼ぶ。『こよみのけもの』は夏は若い恋人の蛇、冬は幼い息子の猪の姿になり女神と交わる猪蛇一体の存在で、縄文中期の装飾土器に多く見られるモチーフである。土偶装飾土器に見慣れた丸顔も、吊り目、上がった鼻、ハート型の輪郭から、人と猪蛇の混ざった精霊として読み解く学者もいる。
春先に目覚めたばかりの『けもの』は、はじめ弱弱と地に身をくねらせ木立へとのぼり、至る所に花を咲かせる。同じ頃『みなもとのはは』は春先の海に身を遊ばせ潮水で清め、きよらの身にうまれかわる『ほどき』の相である。この頃を『じゃのめはじめ』という。
立夏の頃『けもの』は緑青々と命をたぎらせ、鎌首をもたげる。『みなもとのはは』は恋に胸ときめかせる乙女となり、雄々しき『けもの』をその身に受け入れる。この頃を『みのこあそび』という。
まぐわいのさなか、絶頂に達した『けもの』は天へと上昇する。夏至の頃を『みのこのぼり』とよぶ。この相を『みのこどき』の頂点とする。『みなもとのはは』は蛇=巳=火=光である『けもの』との別れを経験する。
雲がとぐろを巻き雷の天割る立秋の頃、『けもの』は稲妻と共に下降し『みなもとのはは』の『うつわ』に宿る。『みのこくだり』という。
秋分を『いのめはじめ』という。蛇=火の時を終え、猪=亥=水=闇の時がはじまる。『うつわ』の中に命の兆しとして眠る『けもの』とそれを包む『みなもとのはは』の充足した『むすび』の相である。
立冬の頃、地にころころと『けもの』がこぼれ『みなもとのはは』の足元を駆けずり回り遊ぶ。土を掘り返しどろんこになり、どんぐりと戯れる瓜坊の相。『みなもとのはは』も共にあそぶ。『いのこあそばせ』の頃という。
冬至を『いのこもぐり』という。遊び疲れた『いのこ』たちが鼻先で地を掘り身を埋め『みなもとのはは』は優しく土をかける。『いのこどき』の下降の頂点である。『いのこ』らは命の種、今はしずかの眠りの時を過ごす。
凍てつく寒さの中も木の芽の膨らみゆく立春の頃、『いのこ』らは土の中でもぞもぞと動き出す。時折鼻先を地上に出すも、まだ寒いと引っ込め夢うつつに過ごす。『みなもとのはは』はあくびをしつつ眠る『いのこ』を優しく抱き上げ、水の流れに解き放つ。『いのこ』は雪解け水となり、川を下り海へと到るうち、蛇体になっている。
そしてまた春分『じゃのめはじめ』がめぐるのである。
この暦は春分秋分夏至冬至とその中間地点である立春立夏立秋立冬の前後で一年を八当分している。
春秋分を起点にし春分から秋分を『みのこどき』つまり蛇のとき、秋分から春分を『いのこどき』つまり猪のときと呼ぶ。
蛇目は蛇の目を記号化した二重丸、猪目は猪の鼻を記号化したハート型を持ちいる。
蛇=巳=火=光=上昇、猪=亥=水=闇=下降
春分秋分を『じゃのめはじめ』『いのめはじめ』と呼び、猪蛇の変容のときとする。
また夏至冬至を『みのこのぼり』『いのこもぐり』と呼び、それぞれを上昇と下降の頂点とする。
『こよみのけもの』も巫女の『けもの』と同様、『ひこ』であり、火水の循環の要である。
この暦は、大まかな八当分になっているが、実際のカレンダーの日付と必ずしも合致するものではない。実際の日付よりも重視すべきは、巫女の予感である。日差し、水の冷たさ、蒸気の色。様々な兆しを頼りに暦のめぐりを察知できるよう日々心がけること。それぞれの暦には兆しとなる植物や行事が対応する。植物には『ひめひこ』が座る。見かけたらその場で『ひめひこ』をことほぐもよし、摘んで帰って家の中に『ひめひこ』をしばしお迎えするも良し、またそれを持って暦が巡ったとしても良い。日本は長細く季節の巡りも土地により様々であるから、巫女同士報告しあって各地の暦の到来を寿ぎ合うのも良い。
春分秋分に『歩きのひめひこ』、夏至には『天のひめひこ』、当時には『家のひめひこ』など、暦に合わせて様々の『ひめひこ』が割り当てられている。これは万象に宿る『ひめひこ』のうち特にその時期に心がけてことほぐことを勧めるものである。『歩きの』はまれびと、『天の』は星々または雨、『家の』は自身の暮らす家、『土地の』はそれぞれの暮らす場所、『西の』は西之島の、『火水』は火水、『根の』は『ねのもとはは』と『たまわりみこ』のことである。