2020/12/31 エウダイモンな李徴にて公開 https://eudaimon-richo.hatenablog.jp/entry/2020/12/31/221534

文献

Riggle, N. (2020) “Transformative Expression” in Lambert, E. & J. Schwenkler (eds.) Becoming Someone New: Essays on Transformative Experience, Choice, and Change, OUP, pp. 162-81.


1. 序 Introduction

特に20世紀において、〈芸術は生きられた経験それ自体の真の変容でなければならない〉という「ラディカルテーゼ」は、日常生活の中で人々が直接参加するように意図され、変容的に自身を表現させるような、創意に富む野心的な作品に影響を与えた。

ただし、自己を表現するためには、その表現的な行為が当人の真正な自己を表現することが必要である。真正な自己は、選好・習慣・信念・願望などに体現され、表現的な行為を起こし、動機づけ、支持する。つまり、行為は行為者のそうした気質を体現していないならば、自治的self-governedではない。これらの気質としては、より一般的には自己構成的な気質が選ばれるだろう。例えば、大事にしている価値、高階の願望、目標、道徳的信念conviction、重きを置いている理由などである。ここから、自己表現に関する説として次が考えられる。

<aside> 📌 自己表現における気質中心説disposition-centered theories: もしAの行為φが真正/自律的ならば、Aの行為φは自己構成的な気質を表現する。

</aside>

しかし、もし自己構成的な気質を表現することが自己表現であるならば、いかにして、自分がそれらの気質を変えることが表現できるのか。自己変容が20世紀の芸術観において切実なテーマである以上、これは看過できないパラドックスである。Riggle(2020)の課題はこのパラドックスの解決にある。

<aside> 📌 Riggleのやること: 「変容的表現」の概念を発展させ、次の①②③を主張する。 ① 変容的表現的な行為は、美的価値の標準的な考え方に反論を示す前衛芸術作品の範囲において、主要な部分をなしている。 ② それらは気質中心説に対する反例である。 ③ ①②は次のことに関わっている:私たちの美的価値の理解を、遊び心のあるplayful行為の範囲を含むように拡張することで、私たちがコミットメントを表現していないときでさえも、どうして自己を表現できるのかが示される。

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2. 変容的表現を定義する Defining Transformative Expression

Riggleには、「料理人」に変容してしまった経験がある。自身のキャリアに不安を覚え、将来の見込みも定かでなかった頃、料理番組を大量に見ていたせいか、気付いたら台所に立って、週の中頃の昼食に手の込んだ魚料理を作っていた。Riggle自身はそうすることを本心から望んでおらず、哲学に従事することの方を望んでいたにもかかわらず。