この一連のポッドキャストのトランスクリプトは、地方での生活とテクノロジーに関する様々な話題を扱っています。特に、岩手県の普代村での生活が中心となっており、自宅にインターネットが開通したことでnasneを利用してアニメを視聴できるようになった話や、接続の不安定さといった技術的な課題が語られています。また、三陸鉄道などの移動中にオフラインで利用できるアプリが少ないという問題提起や、プログラミングのアイデアはあるものの開発時間が取れない現状についても触れられています。さらに、地方の車社会の特性がコミュニティ形成に与える影響についての考察や、ポッドキャストのゲストの拠点へ実際に足を運ぶという活動報告も含まれており、多角的な視点から日常生活やメディア活動の様子が紹介されています。
都会の便利な生活に慣れていると、私たちは多くのことを「当たり前」だと考えがちです。しかし、少し環境を変えて地方で暮らしてみると、その「当たり前」が通用しない場面に数多く出くわします。それは時に不便な「落とし穴」として現れ、またある時には新しい視点をもたらす「発見」へと繋がります。この記事では、地方での生活を通じて見えてきた、テクノロジーと日常が交差する点でのリアルな気づきを5つのポイントに分けてご紹介します。
先日、岩手県の久慈市を訪れた際に強く感じたのは、地方都市の多くが「車社会」を前提に設計されているという現実でした。横浜のような都市部とは異なり、駅前が必ずしも街の中心として栄えているわけではなく、むしろ駅から徒歩で20〜30分ほど離れた郊外のショッピングモールに活気があります。
これは一見合理的に思えますが、深く考えると一つの問題が浮かび上がります。車は「自宅」と「目的地」という2つの点を直接結ぶ移動手段です。そのため、その道中の場所や、目的地として選ばれなかった場所との物理的な接点が必然的に失われがちになります。
この構造が、私が滞在している普代村のような場所にも影響を与えているのかもしれません。生活用品の多くを村の外(例えば久慈市)に買い求めに行く必要があるため、休日になると人々は村の外で過ごす時間が長くなります。その結果、村内での交流が減り、地域のコミュニティが育ちにくくなるのではないか、という懸念が頭をよぎりました。
目的地以外に、目的地として選ばれなかった場所にコミュニティが生まれない、そういう問題点があるのかな。
車がもたらす利便性の裏で、私たちは何か大切な繋がりを失っているのかもしれません。だからこそ、車社会とは言っても、車がなくてもある程度生活ができ、楽しみにも触れられる。そんな環境になるように、自分自身で考えていきたいと思っています。
現代の私たちは、スマートフォンアプリが常時オンラインであることを無意識に前提としています。しかし、地方での生活、特に移動中にはその前提が簡単に崩れます。例えば、三陸鉄道は路線のほとんどがトンネル内で、携帯の電波は圏外になります。
このようなオフライン環境に置かれて初めて、いかに多くのアプリが「繋がっていること」を必須条件としているかに気づかされます。事前にダウンロードしておいたポッドキャストが再生できないアプリ(例えばLISTENやstand.fm)、起動時にオンライン認証を要求するため使えない音楽アプリ(Nintendo Musicなど)、多くのスマートフォンゲームがタイトル画面から先に進めなくなるのです。さらに厄介なのは、起動さえしておけば大丈夫だと思っていたアプリが不意にクラッシュし、次に起動しようとしても圏外のため立ち上がらない、といった不測の事態です。
都市部で生活していると圏外になる機会はほとんどなく、この問題は見過ごされがちです。しかし、山間部などを頻繁に移動する生活では、これは非常に切実な問題となります。全ての機能が動く必要はありません。オフラインでも最低限の機能が動作するか、少なくとも「圏外のため利用できません」と明確なエラーメッセージを表示してくれるだけでも、ユーザー体験は大きく向上するはずです。
テクノロジーは場所の制約を乗り越える力を与えてくれます。普代村にいながら、自宅(横浜)に設置したnasneにアクセスし、録画したアニメをiPadで視聴できるというのは、まさにその恩恵の一つです。深夜アニメも好きな時に見られる、非常に便利な環境が実現しています。
しかし、この便利な環境には、単純ながらも致命的な「落とし穴」が潜んでいました。ある時、iPhoneでも視聴しようとしたところ、全く接続できなかったのです。原因は、自宅のネットワーク環境で事前に「ペアリング」という認証作業を更新し忘れていたことでした。