8.1 On Limits 限界について
- 本章では、科学と工学の線引きについて考える。
- 神経科学では人工物を排除することは不可能。特に近年はANN(人工ニューラルネット)が入ってきている。そのこと自体が、脳の複雑性自体を神経科学が理解することの限界になっている、と本章では主張する。
8.2 Verum Esse Ipsum Factum 「真なるものとはつくられたものである」
- 本書で述べてきたように、神経科学の中心には単純化がある。
- 単純化することは建設的であるとともに破壊的なプロセスでもある。
- 5章では、ファインマンの「作れないものは理解できない」を改変して**「作っていないものは理解できない」**とした。本章では、このことを、補強する。
- ヴィ―コ(※17-18世紀イタリアの哲学者)は、Ipsum Factum(「真なるものとはつくられたものである」)という知識観を提示。これは、知ることと何かをつくることや何かをすることとのつながりを重視する知識観。
- ヴィーコは、神が作った自然界は理解不可能である一方、幾何学的世界や人間が作った社会世界はより理解可能であると考えた。
- 一方、著者自身の考えでは、神経科学は、ヴィーコが超越的だとした自然的な対象の代理として、理解の対象を(人工物として)作り出している(がゆえに理解可能)。作り出されたモデルは、飼いならされた動物のように自然であると同時に人工的である。
- 「この「作ることを通した理解」という認識論が適していない科学はあるかもしれないにせよ、自然システムではなく人工物が科学の対象であるという、20世紀の科学史家による説得力のある見方と一致している。」
- 科学は人工物を対象に発展してきた。
- 科学が制度化された19世紀のころ2大理論的成果である「熱力学」と「自然選択」は、その足場がどちらもテクノロジーにある。カルノーの熱機関の分析、ダーウィンの分析の背後にあった人工交配の実践。
- 科学史家のPeter Dearの見方では、近代科学は、自然を理解する自然哲学と技術が融合したことで生まれた。
- 今日、何の効力もない知識とは、偽物か空虚であると認めることに等しい。
- 単純化は、複雑さを諦める代わりに、現実世界の有効性とコミュニケーション可能性をもたらす。
- これらのことを考えると、コンピュータ等の人工物に頼る神経科学は、科学の中で決して特殊ではないことがわかる。
8.2.1 Neuroscience So Considered
- 科学は自然を理解しようとするプロジェクトと、自然を道具化しようとするプロジェクトのハイブリッド(Dear 2005)。
- 神経科学はしばしば基礎→応用というカスケード式に語られるが、科学のモデルが理解と予測・制御という二つの目的を持つと考えるべきである。
- たとえば、計算主義的な脳の理論は、コンピューターの発明の前には出てきえない。
- デカルトが用いたリバースエンジニアリングの発想は、自然物と人工物の違いを否定することを意味する。
- 神経科学者のデフォルトの見解は、神経系はある程度の抽象化レベルで計算機と同一であるというもの。
- 神経科学はアナロジーはunfamililarなものを飼いならす。それが限界でもある。
8.3 Renegotiating the Relationship of Understanding and Control——理解と制御の関係を再考する
- 人工物だからといって理解可能とは限らない。Von Neumannはいずれ自動機械は人間に理解できなくなると予言した。
- 現代の計算論的神経科学が脳のモデルに使う今日の深層ニューラルネットは何百万ものパラメタを持ち、それを理解することは困難。
- Saxe, Nelli, and Summerfield (2020):深層学習の枠組みは神経科学に実存的な課題を突き付ける
- Chris Andersonは機械学習が科学の「理論の終焉」をもたらすと書いた。