Oh God It’s Going To Get SO Much Worse|Caitlin Johnstone

2022年4月30日

translated by Kei Wakabayashi

右派の人びとはここ数日、政敵が米国でやっていることに対して、オーウェルの『1984』をもち出して騒ぎ立てているが、今回ばかりはその言い分は正当だ。国土安全保障省は「偽情報統制委員会」(Disinformation Governance Board)なるものを設立したが、このような組織をつくるという計画を国民に知らせもしなかった。

批判者たちは、この偽情報委員会をオーウェルに倣って「真理省」(Ministry of Truth)と呼んでいるが、その目的は、ロシアから発信される偽情報や、米国とメキシコの国境をめぐる誤解を招くメッセージと戦うためだとされるが、この委員会の重点がロシアに置かれているだろうことは容易に推測できる。

ホワイトハウスのジェン・サキ報道官は「ホワイトハウスについてなんでわたしに訊くの? あんた頭大丈夫?」と言わんばかりの得意の言い回しで、国土安全保障省内に設立されたこの奇妙な組織が具体的にどのような機能を果たし、その権限がどこまで及ぶのかといった懸念の声を一蹴した。

「この委員会の目的は、偽情報や誤情報が国中のあらゆるコミュニティにおいて駆けめぐることを防ぐことにあるのだと思います」とサキは語り、「その取り組みに反対する人がいるとも思えませんが」とも付言した

「その取り組みに反対する人」とは、いうまでもなく、「耳の間にある灰色の物質が機能しているすべての人」だ。政府機関が、国民のためにどの情報が本当で、どの情報が偽物であるかを選別するような権限を自らに課すことはできない。なぜなら、政府機関は、国民が絶対的現実の客観的裁定者として国民が判断を委ねることのできる公平かつ全知全能の神ではないからだ。そんなことを委ねてしまった暁には、あらゆる全体主義政権がそうするように、真実がなんであれ、自分たちの都合のいいように正しい情報、誤報、偽情報を区別することになるだろうことは間違いない。

ところが、この問題の重要なポイントは、偽情報統制委員会の運営に任命された人物のまったく催眠的なまでのバカバカしさのせいで、逸らされてしまった。ニナ・ヤンコヴィッツという名の、この手入れの行き届いた沼の生物のような人物は、フルブライト奨学金の一環としてウクライナ政府のコミュニケーション・アドバイザーとしてキエフで働いていたが、識者やソーシャルメディアのユーザーからは悪質なロシアゲートとして広く批判されており、この動画も、これがなんであれ非難されている。

恥ずかしさを催さずにはおれないギャグ漫画のようなこの人物のせいで「国土安全保障省にファッキン真理省がつくられた」ことよりも、国土安全保障省の真理省が「ヤバいリベラル」に乗っ取られたことのほうに注目が集まってしまっているのは残念なことだ。

これは木を見て森を見ずだと言うほかない。ビールを一緒に飲んでも構わないようなチルな男性によって運営されているのだとしたら「偽情報統制委員会」の存在は「あり」なのだろうか。とりわけ、この部門のイデオロギー的傾向が選挙のたびに行ったり来たりし、誰が大統領になろうとも常に米帝国のナラティブ支配のために行動することがわかっているとすればなおさら、ことは重大だ。

いずれにせよ目下の最大の問題は、この新しい機関が政府による検閲とシリコンバレーによる検閲というすでに埋まりつつあるギャップをなくしてしまうであろうことだ。国土安全保障省の偽情報統制委員会の設立は、Covidに関する誤報を流していると判断したアカウントをホワイトハウスがソーシャルメディアプラットフォームに教えていたという、それまでの検閲の考え方をドラスティックに飛躍させ国家による直接検閲の方向性を決定づけた2021年のスキャンダルを上回るショッキングかつ恐ろしい発展形と捉えることができる。

政府、メディア、シリコンバレーが一致協力して誤報を検閲することや、ウイルスに関する「公式発表」を国民が支持することを許容した途端、支配的な権力体制が、その信認をすぐさま戦争や外国政府に対して適用したそのやり方をこそ、わたしたちは問題にしなくてはならない。

それもいますぐ始めなくてはならない。ウイルスに関する大規模なナラティブ統制キャンペーンを人びとは致命的なパンデミックを封じ込めたいがために受け入れたが、それは直接そのままロシアとウクライナに関する大規模なナラティブ統制キャンペーンへと引き継がれている。それも瞬時にだ。世界で起きている出来事に対する人びとの理解を公然と操作することが、さも当然であるかのような顔をしてだ。いまわたしたちは、核兵器ホロコーストによって全員が殺されるかもしれないクソ戦争に反対する声を封じ込めるべく、ますます大胆になりつつある検閲を目にしている。そして、その一方で、バイデン政権による330億ドルという途方もないウクライナ支援パッケージの一部が「インディペンデント・メディア」(と書いて「戦争プロパガンダメディア」と読む)への資金提供に充てられるという。

わたしたちはこのことについてもっと議論しなくてはならない。わたしたちは、西側の主要機関のすべてが、公式に参戦してさえいない戦争において、 第二次世界大戦レベルの検閲とプロパガンダを実施すること、そしてそれをわたしたちが受け入れてしまっていることが、どれほど狂気の沙汰であるかを語らなくてはならない。

それは、ロシアがウクライナに侵攻するやいなや、何の公的議論を経ることもなく始まった。まるで、すでに下地はできていて、誰もがそうなることを同意していたかのように遂行された。米国がこの惑星を一極支配し続けるためのこの奇妙な情報戦に勝つために、プロパガンダや検閲を受けることを望むかどうかについて国民には何の発言権もなかった。それは黙って実行された。

なぜそうしなければならないのかという理由は国民には与えられず、そうすべきかどうかをめぐる国民的議論もなかった。とはいえ、それはそういうふうにデザインされているものなのだ。なぜなら、プロパガンダは、それがプロパガンダであることに気づかないからこそ有効だからだ。