たまたまのタイミングでときどき更新する行き場のない文章。
<aside> 📩
2026.5.25更新
鼻からも口からも透明の粘液がずっと出てくる。でも風邪ではなさそう。原因の一つはここ数日の寒暖差。気温30℃近くと15℃くらいを行き来するおかしな気候で過ごしていたらそりゃ自律神経も乱れるわな。そしてもう一つの原因は、たった3日間で沖縄のことを集中して調べすぎたこと。
「集中力」を鍛えようとする大人たちの掛け声とともに幼少期の教育を受けてきた記憶がある。子どものころの私はその「力」があるということで成績もよく、褒められることが多かった。でも大人になってからは、それによって生活が困ることが多い。すぐに過集中気味になって寝食を忘れて調べものなどを行なってしまうのでシンプルに心身によくない。それで「あっ、いけない」と思って、調べものなどの手を止めたときにはもうすでに脳みそがぐるぐるぐると動いて思考実験をやめないモード入ってしまっているので横たわったベッドからまるで動けなくなってしまう。そのせいで朝もなかなか起きられないのがつらい。寝ているときもすべてを放念して純粋に寝るということができないし、朝になって起きようとすると寝ている間に考えていたことが頭の中を駆け巡ってどこから手をつけたらよいかわからずベッドから離れることが難しい。このように、「集中力」ありすぎては困ることになるぞ、と思う。人間は機械ではなく生き物なので……。全てを同時に行うことはできないし、突然何かに詳しくなるということはないのに、なぜかできる気がして不可能に挑んでしまう。不健康で不誠実な思考。
私の「集中力」というのは、単純に何かに熱中したり没頭したりするのとはちょっと違うと思う。集中する対象のものと自分との境界線がもっとグチャグチャに溶けている。今知るべきだと思ったものの内側にぶくぶく息ができなくなるほど体も脳みそもめりこんでいってしまって、そこにある物語を過剰に引き受けてしまう。それは全然いいことではないし、集中の対象となったものや人に対して失礼だと思う。
余談だけど、幼いときに祖父母から「あなたの花嫁姿を見るまでは幸せに死ねないわぁ」と言われただけで、「私の物語をあなたの物語にするな!」と本気で泣きじゃくり怒り狂ったことがある。今もまだ忘れていないほど強い感情が巻き起こった瞬間だった。気軽なちょっかいのつもりだった祖父母や親はとても困っていたけど、なんて勘が良く図太い子どもだったのだろうと自ら感心してしまう。でも、大人になったら今度は、自分が他者の物語を勝手に背負ってしまう癖があるなんて……。恥ずかしく感じる。どこで歪んでしまったんだろう。(このあたりの過集中による不具合は自分だけの力で解決しようとするとおかしくなりそうなので、あらためてメンクリに行くことに。)
今回は沖縄のことを一気に調べてプシューとオーバーヒート気味になってしまった。とはいえ、知らなくてよかったことは何一つない。まだ知らないことのほうが圧倒的に多いということもわかっておきたい。
『太陽(ティダ)の運命』というドキュメンタリー映画を見た。渋谷のユーロスペースで期間限定で再上映されていた。何人かの尊敬する人たちが観たり宣伝したりしてくれて私も上映を知ることができた。太平洋戦争の後、「日本に返還」された沖縄県の知事として本土の政治と地元住民たちの狭間で翻弄され、それでも沖縄に生きる人々と土地の権利を守るために奔走した二人を中心とした話。大田昌秀と翁長雄志、そしてその近くで県知事の葛藤を見つめてきた沖縄の議員や妻の語り。
ちなみに、「日本に返還」っていうことばに私はあんまり納得いっていない。返還後の今も沖縄にはアメリカ基地が31箇所ある。それは返還と呼べるのだろうか。それに、返す相手が「日本=本土中心の政治」っていうのも不思議な気がする。「沖縄は誰のものだろう?」という疑問を投げかけ続けたいと感じる。
映画の話に戻る。都内近郊でずっと暮らしていると「自民党=所属している人はみんな極悪人」みたいな、わかりやすすぎる思考に浸ってしまうけど、なんだか沖縄の議員たちの雰囲気はまた異なると思った。党派や政治的立場よりも前に、まずそこにいる人たちは「沖縄の人間」だった。沖縄はいつも本土の身勝手で搾取的なふるまいに痛みを負わされていた。アメリカ政府に、日本政府に、本土の「大多数」のために、いつも後回しの立場に追いやられていた。だからその痛みを前に、政治的立場を超えて沖縄はひとつにならざるを得なかった。「オール沖縄」と呼ばれるようなムーブメントの姿だ。これは感動物語や美しい話ではなくて、そうせざるを得ないほど弱い立場に「沖縄」という単位で人々が巻き込まれているということだと認識しなくてはならないと思う。
痛みは沖縄の人々のもので、問題は「本土」の人々のものだった。
また新たに戦争をはじめようとしているこの国の、前の戦争はまだ終わっていない。
私は「理不尽センサー」がめっちゃ強いと思う。かなりこの世の中でも高性能なほうだと思う、私のセンサー。それだけは自負させていただく。映画を見ている間、ずっと理不尽センサーが鳴りっぱなしで途中で嗚咽しそうになった。悔しかった。わかっているつもりだったけど、自分も沖縄のことをどこか「オリエンタルな気持ち」でこれまで見つめていたことに気づいて反省した。このような歴史を知らなくて済むことに驚愕した。
映画館から出たあとの渋谷は、沖縄にふるってきた暴力のにおいが蔓延していて臭かった。大きな広告テレビと音がうるさい広告トラックで自分たちにも暴力を日常的に浴びせることで、他者に暴力をふるうことのさもしさを忘れようとしているようだった。
</aside>