• 田上孝一『疎外論入門』(2026 年, 集英社)を、疎外論の前提知識がほとんどない状態で読み始めた。(マルクスやヘーゲルについても同様。)私の主な関心は「1. 疎外とは何か 2. 疎外はなぜ悪いのか 3. 疎外という概念を用いるポイントは何か」にある。まだ第一章を読んだだけだが、理解できない記述が多く、またこの関心を満たしてくれるように思えない。もちろん読み進めていくうちに、これらの疑問が解消され、また関心が満たされるかもしれない。しかし今の段階でどこに不満を持っているのかを記述しておく。

  • 第一章ではまず、「疎外」とは何かということが確認される。順に見ていこう。まずは pp. 19-20 の記述から。

    • 専門用語としての「疎外(Entfremdung)」は、「人間がことさらそうした事態を問題にしたくなるような、人間にとって重要なもの」が「外にあってよそよそしくなる」事態だとまず説明される。
    • 次に、(特に説明もなく、)人間にとって「最も」重要なものは何かという問いが立てられて、「それはまさにそれこそが人間を人間たらしめる、人間にとって核となるような要素」だという「抽象的な形式的定義」が述べられる。
      • そして、そうした中核的要素は、人間の本質であると敷衍される
    • つまり、「疎外」とは、「人間にとって最も重要なものすなわち人間の本質が、人間にとって外にあってよそよそしくなる事態」である、ということになる。
  • ここですでに分からないことがある。疑問点を羅列する。

    1. なぜ「人間にとって重要なもの」から「人間にとって最も重要なもの」に移行されたのか? 疎外を論じるにあたってそれが最も論じるに値するからだろうか? あるいは、「ことさら問題にしたくなるような重要なこと」は「最も重要なこと」であるというあまりもっともらしくない考えがあるのだろうか? とにかく説明が欲しい。
    2. 「人間にとって最も重要なもの」は「人間の本質」だ、というのは自明ではない。
      1. 例えば「概念を用いること」が人間の本質だとしよう。(しばしばそう言われる。)しかし、一部の哲学者は、概念を媒介して対象を認識することは、対象を直接認識することよりも劣ると考えてきた。したがってこの立場からは「概念を用いること」はおそらく重要なことではないだろう。あるいは、人間は本質的に哺乳類動物であるかもしれない。しかし、哺乳類動物であることが人間にとって最も重要だと考える人は少ないだろう。これらが正しければ、どのような「人間の本質」も「人間にとって最も重要なもの」なわけではないことになる。
        1. 一般に「X の本質」は「それによって X であるようなもの」でしかなく、価値的な含意はないので、「本質だから重要だ」と直ちに言えるわけではないはずだ。
      2. また、快楽や、苦痛の欠如を「人間にとって最も重要なもの」と考える哲学者も少なくない。しかし、それらが「人間の本質」だと考えているわけではないだろう。したがって、「最も重要」ならば「本質」というのも疑わしい。
    3. そして、「人間の本質が人間にとって外にある」というのもよく分からない。もしも「外にある」ということの意味が、「それを所持していない」ということであれば、疎外されているとは「自分の本質を所持していない」ことになり、語義的な矛盾になる。「よそよそしくなる」と同様に、「外にある」という用語もまた説明が必要なものだろう。(これからやってくれるのだと思うが。)
  • 次に、初期マルクスが「疎外」をどう定義していたかが確認される。

    • 引用すると、「人間的な Wesen が当の人間自身からよそよそしくなること、人間の本質が人間自身から疎遠になり、実現されるべき人間性が損なわれて個々人の自己実現が妨げられていることが、最も抽象的な次元での疎外の定義となっている。」(p. 20)
  • マルクスによるこの定義は、「実現されるべき人間性が損なわれて個々人の自己実現が妨げられている」という追加項によって、先の定義を大きく超えている。しかしこの部分の説明がないために、混乱してしまう。

    • まず、「(実現されるべき)人間性」が何を意味しているのか説明がなくて、理解できない。
      • それは、単に「人間の本質」のことだろうか? もしもそうなら、疎外されているならば本質を欠いているということになり、(上の「3」で述べたように)語義的に矛盾しているように思われる
      • あるいは、「人間らしい生活」「まっとうな生活」「健康で文化的な最低限の生活」のように、「人間性」は「十分に質の高い生」とか「基礎的なニーズの充足」に関連した意味を持っているのだろうか? もしもそうなら、それは「人間の本質」ではないだろう。なぜこの追加項が出てくるのか、説明が欲しくなる。
        • 「それが人間にとって(最も)重要なことだからだ」という説明があれば、少なくともとりあえず納得できる。しかしこの場合、「人間の本質」の項が不必要にならないだろうか。最初から基礎的なニーズが満たされていない状態だ、と言えばいいのではないかと思ってしまう。(さらに言うと、「疎外」概念に訴える必要も怪しくなってくる。)
        • あるいは、人間の本質が人間の外にあってよそよそしくなることの結果として、実現されるべき人間性が損なわれるという説明も可能だろう。しかしこれは、疎外の定義というよりかは、疎外の結果として人間に起こることを記述しているように思える。この項を定義に含めるポイントは何なのだろうか?
      • また、「実現されるべき」がどのような修飾なのかも分からない。「人間性」は本質的にあるいは定義的に「実現されるべき」ものなのだろうか? あるいは、「人間性」は一定の価値観を前提にすればすべて「実現されるべき」ものであり、この修飾によってそのような価値観の採用が宣言されているのだろうか? それとも、「人間性」の中でも「実現されるべきもの」に焦点を当てるという宣言なのだろうか?
    • 次に、「個々人の自己実現が妨げられている」という箇所について。
      • これは、「人間にとって最も重要なもの」がよそよしくなるという疎外の initial な説明から大きく外れているように思える。私がサッカー選手になりたく努力している間、私は疎外されているのだろうか? そうしたものまで疎外に含めてしまえば、疎外は適用範囲が広い代わりにそれだけでは重要性を持たない概念となり、「疎外されているから何?」という反応を引き起こしそうだ。それでいいのだろうか。
        • もしかするとこの箇所も、「疎外の定義の一部」ではなく「疎外の結果として起こること」として考えるべきなのかもしれない。
  • 本文では次に、マルクスにとって、疎外と貧困は本質的に関係していることが論じられる。(pp. 23-29)

    • 「疎外は、貧困や窮乏と本質的に区別される概念ではなく、疎外の一つの深刻な現れとして貧困や窮乏がある」(p. 27)
    • 「マルクスの理解では貧困は疎外の下位概念であり、(中略)貧困を基本的で深刻な疎外現象と捉えるのが、マルクス的な意味での疎外論のあり方ということになる」(p.28)
  • 本質的に区別されないとか、下位概念だといった表現には引っかかるが、全体として言われていることは理解できる。疎外は色々な形で現れうるけれど、貧困が基本的でかつ深刻な疎外の形ですよ、というのがマルクスの考えということだろう。

  • そのあと、「ではなぜ貧困が疎外の下位概念なのか」という問いが立てられ、以下のように答えられる。

    • 「それは貧困が人間にとって望ましくないことであり、人間にとって望ましくない事態とは、人間が欲しているにもかかわらず叶えることができないような事態だからである。」(p. 29)
  • いくつか疑問点がある。

    1. 本当にこれが疎外の成立条件でいいのだろうか?
      1. 「ある事態が人間にとって望ましくないならば、その事態は疎外である」というのは、疎外の適用範囲をかなり広域なものにしてしまっているが、それでいいのだろうか? 最初に言われていた「人間にとって最も重要なもの」という要素はどこに行ってしまったのだろうか? 「よそよそしくなる」というのが疎外のポイントとではなかったのか?
        1. もしもこれが疎外の成立条件ならば、疎外という概念を用いずに、「財が不足している」「ニーズが満たされていない」「〜にとって悪い事態である」と言った方が(より基礎的な説明であるために)良いように思われる。
    2. 「人間にとって望ましくない事態とは、人間が欲しているにもかかわらず叶えることができないような事態だ」という説明は本当に必要か?
      1. 少なくない哲学者が、「本人が実際に欲していなくても、その人にとって善いものはある」と考えてきたことを考えると、ここでそのような考えを排除する利点が欲しくなる。
  • もしかすると、引用した文のすぐ後の文(同じ段落)が、貧困が疎外であることの本当の理由なのかもしれない。(もしもそうなら、「それは……だからである」という文にして欲しくなかったが。)引用すると、

    • 「自分自身が作り出した事態(対象化)なのに、他ならぬ自分自身から疎遠になってよそよそしくなってしまう。その結果として、自分自身の産物なのに我が物にできなくなる。そしてそうした疎遠な事物は時として他ならぬ創造主である自分自身に敵対的に対向し、あべこべに自分を縛り、あまつさえ自分自身の産物に支配されてしまうまでになる。」(p. 29)
      • 背景の説明が必要だろう。マルクスにとって、労働とは対象を作り出す行為であり、貧困はそうした対象が奪われることで生じている。(pp. 26-27)
  • 正直にいうと、この文とその前の文との繋がりがまったくわからない。

    • 「貧困は望ましくない事態だ」ということと、「自分の産物が奪われて、さらに、自分の産物に自分が支配されてしまう」ということに、どのような繋がりが想定されているのだろうか?
      • この文において「疎遠」が出てくることが示唆しているように、これが「貧困が疎外である本当の理由」なのだろうか?
      • あるいは、私たちは、「自分の産物を自分のものにする」ことを欲しているのに、それができなくなっているのが貧困という状態だ、という「貧困の望ましくなさ」の説明なのだろうか?