1950(昭和25)年6月25日~1953(昭和28)年7月27日
ところで,朝鮮戦争が突発した直後においても,まだ先行き不安がみられた。日本銀行広島支店は,昭和25(1950)年6月,
「下旬朝鮮内戦問題の不安加わり、大勢としては依然情勢好転を見透し得ず,先行悲観の声が強い。企業界は売掛,買掛の膨張,手形期間の長期化等により当面を湖塗して来たものゝ,最近の政資の撒布遅延と市銀筋の本格的な貸出引締の為,愈経営の弾力性を喪失しつゝあり,金詰まりの深刻化は優良企業に迄も波及しつゝあるやに窺われる」(日本銀行広島支店「金融経済報告」昭和25年6月)と,その状況を本店に報告していた。一般的にも,戦争による輸出不振などを予想して,戦争の影響については,当初は悲観的な展望が多かったのである。
(『広島新史 経済編』「Ⅶ 朝鮮戦争と産業・経済の復興 1.朝鮮戦争と特需ブーム」)
しかし、わずか一カ月後の7月には一転して、不安を残しながらも好況の到来を予測
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8月~朝鮮戦争による“特需ブーム”があらわれはじめる
→広島の復興の足掛けとなる
同上著書において、
「朝鮮動乱を契機とする新事態の影響は,当地に於いても弗々乍ら,先ず特需面で車両部品,木材等に現われ,其の後人絹,ス・フ,綿織,縫針の輸出好調著しく,更に先高見越の仮需要に鉄鋼,繊維方面卸商等の動きが活発化している」(日銀広島支店25年8月「金融経済報告」)
と報告されるに至っている。