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HAL研究所はちいさな会社でしたから、わたしは若くしていろんな判断をくだす当事者になるんですね。とりわけ「開発」に関しては先輩がまったくいなくて、わたしは開発系の社員第1号でした。ですから、**開発のことはわたしが全部判断しなければいけない。**相談に乗ってくれる人は誰もいないんです。

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当時、何十万円もしたパソコンよりも、1万5千円のファミコンのほうがゲームを遊ぶうえで圧倒的に適している。わたしは、このマシンで世の中が変わるような気がしました。そして、「どうしてもこれに関わりたい」と思ったんです。(略)当時、わたしは二十代前半です。スーツは着てるけど、明らかに慣れてない。そんな若造が突然現れて「仕事をやらせてください」なんてね、もらいに行くほうも行くほうだけど、仕事をくれるほうもくれるほうだなあと、いまから考えると思うんですけど(笑)

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広い意味で会社が倒産して、とりあえずは、マイナス15億円というのがわたしの社長としてのスタートでした。結果的には15億円を、年に2億5千万円ずつ、6年間で返すことになりました。(略)返済はしましたが、借金という意味では、そのときいろいろな人にご迷惑をおかけしてますから、そんなに胸を張っていえるようなことではないんですよ。

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30代の若造が、「わたしが社長になって、がんばって借金をお返しします」といいにいきます。すると、「がんばってくださいね」とおっしゃる銀行さんと、「ちゃんと返してくれないと困るんだからな!」と、すごく高圧的な態度に出られる銀行さんがいらっしゃるんですね。非常に興味深いことに、そのとき態度が高圧的だった銀行さんほど、その後、早く名前が変わりました。それだけ、あちらも深刻だったんでしょうね。

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わたしは社長に就任したとき、1ヶ月ぐらいかけてひたすら社員と話しをしたんです。そのときに、いっぱい発見がありました。自分は相手の立場に立ってものを考えているつもりでいたのに、直接ひとりひとりと話してみると、こんなにいろいろな発見があるのか、と思いました。

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人が相手の言うことを受け入れてみようと思うかどうかの判断は、「相手が自分の得になるからそう言っているか」、「相手がこころからそれをいいと思ってそう言っているか」のどちらかに感じられるかがすべてだとわたしは思うんですね。ですから、「私心というものを、どれだけちゃんとなくせるのかが、マネジメントではすごく大事だ」と、わたしは思っているんです。

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相手が誤解したり、共感できなかったりするときには、いくつかの決まった要因があるとわたしは思うんです。そのいくつかの組み合わせで、人は反目しあったり、怒ったり、泣いたり、不幸になったりしている。そういうときは、だいたい複数の要因が絡まっていますから、ひとずつほぐして原因をつぶしていけば、すっきりするわけです。