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0.はじめに:DXはシステムの導入ではなく「統治の再設計」である。

自治体DXは、しばしば「便利になる」「早くなる」「安くなる」という効率化の話に収束します。もちろん、それらは重要です。

しかし、現場に深く入るほど、私は次の問いから離れることができません。

申請がオンライン化されても、入力フォームの複雑さで弾かれる人がいる。便利なアプリが導入されても、スマホに明るくない、あるいは持たない高齢者が「いないもの」として扱われてしまうことがある。「データで改善」と言いながら、当初計画に縛られて硬直運用が続くこともある。

私は自治体DXを、単なる道具の置き換えではなく、統治(ガバナンス)の再設計として捉え直したいと思います。そして、統治の再設計を誤ったときに立ち上がる巨大な歪みを、本稿では便宜的に「デジタル・リヴァイアサンの歪み」と表現いたします。

注:ホッブズのリヴァイアサンは本来、平和と防衛をもたらす「保護装置」として国家を構想したものです。

本稿で扱うのは、その原理(保護装置)そのものではありません。デジタル化が加速することで初めて増幅・顕在化しやすくなる歪みに着目し、それらを総称して「デジタル・リヴァイアサンの歪み」と呼びます。

本稿の関心は、「デジタル化は善か悪か」ではありません。 保護装置であるはずの統治が、デジタルによってどのように歪み得るのか。 そして、その歪みを前提にしたとき、自治体DXの運用をどう設計すれば「守る」機能を取り戻せるのか。私はそこから考えたいと思います。


1.リヴァイアサン:受容と保護の関係

ホッブズは国家を「リヴァイアサン」として描き、秩序が失われたとき人は自然状態に陥ると論じました。自然状態では、人々は互いを疑い、衝突が連鎖します。いわゆる「万人の万人に対する闘争」を回避し、暴力への恐怖から人々を守るために、強い主権が必要だという立場を語りました。

リヴァイアサンで重要なのは、国家と臣民の関係が感情ではなく、合意と権限付与の関係として捉えられている点です。