これは壁 Advent Calendar 2025 19日目の記事です。

研究室のドアには、手書きの紙が貼ってあった。

外挿禁止(内挿は可)

誰が貼ったのかは分からない。だが、誰も剥がさない。むしろ新入生が来るたび、先輩が少し得意げに説明する。

「ここではね、壁を越えたらかえってこないんだ」

冗談めかして言うが、笑い方が乾いている。

私は配属されたばかりで、何が「壁」なのかも知らない。けれど研究テーマは決まっていた。過去十年分の観測データから、来年の出来事を予測する。それには、どうしても「まだ起きていない場所」に手を伸ばす瞬間がある。

夜、研究室に一人残ってモデルを回した。学習曲線がなだらかに落ちていく。検証誤差も良い。私は調子に乗って、期間を一年だけ先へ伸ばした。

「外挿」

画面にそう入力した瞬間、室内の蛍光灯がわずかに唸った気がした。

予測結果はきれいだった。過去と連続していて、未来だけが滑らかに続いている。グラフの線は自信満々に右へ伸び、私はその線を見て安心した。

――簡単じゃないか。

そのとき、背後で紙が擦れる音がした。

振り向くと、ドアの貼り紙が一枚増えていた。

外挿禁止(内挿は可)

※ただし、内挿の範囲は昨日まで

息を呑む。昨日まで? そんな但し書きは知らない。けれど貼り紙は確かに古びていて、紙の端は指で何度もなぞったように柔らかい。

不意に、画面のグラフがぴくりと動いた。未来へ伸びていた線が、ほんの少しだけ曲がったのだ。誤差バーが太くなる。さらに曲がる。太くなる。

慌てて学習データの範囲を確認する。最終観測日は昨日のはずだった。だがデータフレームの末尾に、見覚えのない一行がある。

日付は「今日」だった。