岡島昭浩
漢字音の一つに「唐音」というものがあります。
「呉音」「漢音」「唐音」を漢字の三音と呼ぶことは、漢和辞典などでもありますが、本居宣長の「漢字三音考」が有名でしょう。宣長の「漢字三音考」は、文雄(もんのう)の『三音正譌』(文雄は「呉音・漢音・華音」を三音としています)によるところが大きいともいいます。
しかし、文雄が初めてこの三音を取り上げたわけではなく、例えば『ロドリゲス大文典』にも見えます(『ロドリゲス大文典』はポルトガル人宣教師ロドリゲスによって書かれた、日本語の文法を中心とした、日本語百科でもあるような本です)。
注意すべきは各文字が三通りの'こゑ', 即ち同一の意味を示す違った呼び名を持って居り, 又は, 持ち得るといふ事である。[…]その'こゑ'の呼び名は即ち'呉音'(Gouon), '漢音'(Canuon), '唐音'(Tǒin)といふ。その最後のものが今日支那に行はれてゐるものである。例へば, 行く意のAriqu(ありく)は'よみ'であり, その'こゑ'はGuiǒ(ギャウ), Cǒ(カウ), An(アン)であって, この順序にそれぞれ上掲の三種の’こゑ'に相当する。 (ロドリゲス大文典 土井忠生訳235頁)
「行」の、呉音がギャウ、漢音がカウ、唐音がアンで、これは、現在の漢和辞典などでの説明と、重なるものですね。
ただ、ロドリゲスは、当時、中国において使われているのが「唐音」であると言っていて、これは文雄も宣長も同じなのです。
現在、漢字音研究の際には、唐音を、少なくとも二つに分けて考えます。中世(的)唐音と近世(的)唐音です。この二つはだいぶ様相が違うのです。そして、これらのことをそれぞれ「唐音」「宋音」と呼ぶこともあるのですが、ややこしいことに、前者を唐音、後者を宋音と呼ぶ人がいるかと思うと、前者を宋音、後者を唐音と呼ぶ人もいるので、その言い方はしない方がよいでしょう。
呉音・漢音が、「呉」「漢」という王朝名と関係がないように、唐音・宋音も関係ありません。「唐」は、「漢音」の「漢」と同様に、「中国」の意味です。(「宋音」の言い方だけは、王朝名を意識したもののようですが、「新しい時代の」というようなことでしょう)
(近世唐音を更に分けて考えることも出来ますが、ここでは置いておきましょう。)
さて、中世唐音と近世唐音の大きな違いは、頭子音でみれば破擦音と喉音、韻でみれば喉内韻尾でしょう。中世唐音では、破擦音由来の音がサ行で写されますが(「知客(シカ)」「竹篦(シッペイ)」のシ、「茶」のサなど)、近世唐音ではチャやツァで写されます(「茶」は近世唐音でもチャで写されますが、現行の字音はそれに由来するものではなく、中世唐音以前、中国において破擦音化以前の破裂音だったころのものを写したものと考えられます)。喉音は、中世唐音では呉音・漢音と同様にカ行音ですが(「火」のコなど)、近世唐音ではハ行音となります(「火」はホヲなどで写されます)。喉内韻尾(ng)は、中世唐音ではウとンが混ざりますが、近世唐音ではンのみとなります。中世唐音では「杏」「行」はアンと読まれますが、「唐」「浪」などはタウ・ラウで、これは、中国での音の違いに対応していると考えられています(遠藤光暁「アンズとドンス」参照)。
日本語の中に唐音で読まれる語がいくつかありますが、その殆どは中世唐音によるものです。近世唐音は、黄檗宗の諷経や、唐通事周辺、明清楽などの趣味的なものばかりで、日本語の中には入り込まなかった、と言われるわけですが、近世唐音らしきものが少しあります。
宕摂の字であるのに、アウではなくアンで現れるのは、近世唐音でありそうに見えます。
「ゆたんぽ」の形で現在に伝わる「湯婆」(タンポ)は、「湯」がタン、「婆」がボという唐音に基づくとされます。「湯」タンは中世唐音ではありえない形で、近世唐音である可能性が高まりますが、この語は、日葡辞書に”tambo”と見え、典型的な近世唐音の到来をもたらした黄檗宗や、長崎の唐通事たちよりも早い資料に見えるわけです。近世唐音がそのころからあった、と考えたのですが、**柳田征司『室町時代語資料による/基本語詞の研究』では、これはタウボからタンボに変化したものであろうと考え、中世唐音タウが転じたものとしました。**
ウで受け入れたŋ韻尾がウに転じたものがあることについては、「強盜」のガンダウなどについて、私も書いていたのですが、湯婆については、その検討をしていませんでした。
現代語には、残ってない語と言えそうですが、「孟浪」マンランという語が、『書言字考節用集』などにあって、これは、近世唐音でありそうです。唐韻である「浪」のランは中世唐音ではラウです。(「孟」がマンなのは、中世唐音でもあることですが、疊韻語であるので、「孟」も漾韻で、中世唐韻では、「孟浪」(マウラウ)とするのがよいのでしょう)