昭和初期ごろの設定で、  架空の文豪・桐堂葉市が新聞連載しているエッセイというていのお話。


私のような出不精は着物の濡れる心配が無いので、梅雨時に弱る事はない。居間に座して茶でも呑みながら、雨の葉を打つさらさらとした音を聞くのは、なかなか心地が良い。但し加減というものがある。私の望むのは、地が滴(しずく)を吸いとり、空気の湿る様な細い雨で、水が溢れ、泥を弾く有様では風情も何もあった物では無い。だいいちそうした天候の時には色々と苦労も生ずる。少なからぬ風もあり、吹き込んで畳を濡らしたりする。  書生の三青君は雨が嫌いで、雨季になると毎朝、深い溜息をつく。今朝も文庫を懐に抱いて階段を降りながら、ひとつ大きく息を吐くので、私は揶揄って云った。 「随分憂鬱そうだね。毎度のことだというに」 「何度経験した処で好かぬものは好きません。寧ろ年々厭になります。先生は雨がお好きですね」 「そうさね。嫌う程でも無い」 「御気性にお合いなんでしょう」  危うく聞き流し掛けたが、妙に含みがある。油断のならぬ奴だ。敢えて問わずに眉を顰めてみせると、三青君は首をすくめて居間へ向った。今朝チヨの用意した朝餉は粥と漬物、鯵の開きである。三青君は実に綺麗に魚を食べる。骨の扱いなど見事なものだ。私も下手ではあるまいが、鰯など出ると往生する。流石に育ちの違いだろう。

梅雨時に困るのは、水気に伴うあれこれを除けば、甘味を選ぶのに難儀する事だ。雨に似合う甘味とはなんぞや? 春夏秋、其れから冬は季節の甘味が幾つもあり、店先にもずらずらと並ぶ。其れ等の中から今日は何が宜しいかしらと悩む愉しみは私の生活の重大事で、併しこの時季、何を食すのが適当であるか、どうも判然としない。雨の日に食すべき甘味とは何であろう。異国には何かあるだろうか。  そうした事をS君に話した。奴は今一つ解らんといった顔をしていた。 「俺は甘味に然程の興味は無いからなあ。然う云われたとて」 「だが君、私によく甘味を差し入れしてくるではないか」 「それはお前が好きだからで、俺の趣味な訳ではない。何が良いかも知らぬから、何時も骨を折って探しているんだ。少しは感謝をしてもいいんだぞ」  そう云う彼が口にするのは、彼が持ってきたわらび餅だ。きな粉がふんだんにまぶされているほか、生地にも黒蜜が練り込んである。ほんのりと冷気を纏い、涼やかに溶ける様などは成る程この時季に相応しく、併し素直に誉めるのも癪で私は黙りを決めていた。 「どうだ、このわらび餅なぞ。つるりと呑めて爽やかだろう」  と、彼のほうから、そんな事を云い出す。私はつい先刻まで同じ事を考え付いていたくせ、急に心持ちが変り、 「そうかね。併しそれはとどの詰まり、夏の甘味という事じゃないか。雨季は成る程ジメジメとするが、雨の朝から降り続く日は寧ろ肌寒い気がせんか。も少し相応しいものがある気がするね。わらび餅も旨いが」  などと云う。 「言われてみればだ」彼は素直に頷いている。「確かに今朝方もちと冷えた。今は蒸し暑くって困るが」  こう来ると私は決りが悪い。如何して彼には捻(ひねく)れた処が無いのであろう。己の人格の難が有る事は日頃からよく存じているが、彼と相対すると浮き彫りとなり居た堪れない。奴はまた私のそうした懊悩を察する気色もなく、そのうち阿呆らしくなって、私も落ち着く。

S君と出逢ったのは中等部初年の時である。一眼見て私は息を呑んだ。私に限らず彼を見た者は初め必ず息を呑むだろう。でなけりゃ頭が鈍らになって惚けてしまうばかりである。三青君は、うちで初めて彼を見た時ハッキリ音の聞こえる程に鋭い呼吸を一つして、それから私を見上げ囁いた。「この方は、人間ですか」  気持ちは分る。私も疑っている。今まで話してこなかったが、このSは常軌を逸した美貌だ。  併しまあ、これほど人格の顔貌を裏切ることも珍しい。あるいは顔貌が彼の人格を裏切っているのやも知れぬ。繊細な雪の華めいた美貌にふらふら近付いた私は、夏の日差しより晴れ晴れとしたその為人(ひととなり)に面食らった。私はあんまり快晴の空は気が滅入るという男だから、自ら近付いておいてつい避ける様な事をしたのだが、彼は彼でこの陰気な男にどういう興を覚えたものか、私が距離をあけた分だけ詰めて来る。私も、迷惑がるのに飽いて、片手間に相手をする様になり、そんな具合の腐れ縁が今も続いている。何の因果か、仕事相手でもある。 「お前は物を書く人間だな」  私の雑記帳を勝手に抜き取りその場で開いて読んでみせた彼が、閉じながら云った言葉だ。 「そりゃ、物は書くよ。字が書けるんだから」  私は早くそれを返せと手を出したままで応えたが、S君はちっちと指を振り、 「そういう話ではない。もっと本質的な事を語っているのだ、僕は。分からんか?」 「さあね。君に見抜ける本質なぞ、どうせ大した物じゃなかろう」 「云ってくれる」  軽く首をすくめると、しかるに彼はすぐ眉を開いた。 「まあいい。君、物を書けよ。君は書く人間だ。書いたら僕に読ませてくれ」 「君に読ませてどうなるんだ」私は雑記帳を奪い取って尋ねた。 「どうなるって? 何を云う!」S君はいかにも心外というそぶりで眉を吊り上げる。「書は読まれてこそだろう。君はその話を君の中だけで独り占めするつもりかね」  私は深く眉根を寄せた。私の渋面をどう捉えたか、S君は身を乗り出した。 「いいか、君。書き起こすというは、つまり目に触れる様にするという訳だろう。乃(すなわ)ち人がそれに触れ、それを読む事ができる訳だ。君の考えた物事は、なるほど君だけの物かも知れんが、併し君がそれを書き付ける以上は、他者に開かれるという事でないのか。読まれないのなら、それが書かれる意は何処にある? 君が書く以上、これは外に開かれ、違う者との関わりを持つのだ」  いかにも彼が云いそうな事であった。私は渋面を解かずに、黙って雑記帳を仕舞った。それから鞄をパチリと閉じると肩に掛け直し歩き出す。S君がもどかしそうに土を蹴る音が背後でした。 「納得できんか?」 「いいや。君が間違ってるとも思わん。が、僕は興味がない」 「分った。兎も角も僕に読ませてくれるね?」 「そりゃ構わんが。何が愉しいのだか……」  その場しのぎの褒め言葉なら話が単純だったものを、S君はそれから折に触れ私に執筆の進捗を尋ね、何か書いたとなれば読ませろと迫ってくるという日々で、またこう云っては何だが、S君は文学において非常に勘が悪いのだ。私は、S君がしたり顔で読みながら、これはどういう意味だ、ここは何の為だと訊いてくるのをうんざりして聞き、そのうちにS君にも分る様に書くという事が脳裏の一隅を占める様になった。S君に分るものなら大抵の者は分ろうし、S君に分るものさえ分らないのならもうお手上げだ。彼は私の、世間や社会への、譲歩の閾値となる男である。私が世界に許せるのは、彼が限度で、それ以上はない。  その意味で彼は私にとって、一つの標(しるべ)であるには違いない。

S君が帰る頃、皐月の雨がふと途切れた。ぼやけた淡い虹の橋が、縁側から庭に見えた。 「こりゃ助かる。雨のなかは気が滅入るしな」  彼が玄関で洋靴を履くのを、私は黙って見ていたが、不意に口に残った黒蜜の香りが鼻をついて、仕方なしに云った。 「君。梅雨に合う菓子だが」 「うん?」 「わらび餅というのは、確かに的を射ている。考える限りで相応しい解の一つに違いない。今、思ってね」  肩越しに振り返り、S君は怪訝な顔をしていた。だが、やがてにっかりと笑った。 「そうだろう。お前はそう云うと、思って選んできたんだから」  立ち上がり、鞄を取ると、彼は引き戸に手をかけた。私は、開いた戸から差し込む眩さに目を細め、うんざり彼を見上げる。彼は帽子を被って振り向いた。 「ではな、孝一。次の連載をどうするか、そろそろ決めてくれ」 「気が向いたらね」 「気が向いたらじゃ困るんだ、期日があるんだぞ」呆れた声である。「じゃあ、頼んだ」  白々とした明るさのなかに彼が出ていく。すぐに染まって見えなくなる。見送って私は背を向けた。しかし、戸を閉ざし、目を閉じても、光の気配は眼前を去らない。  光というのはそういう者だ。私は、書斎へ渋々と戻った。


2022.05.07:ソヨゴ