戦時中、軍需工場などに駆り出された人々に、女子挺身隊、学徒動員、徴用工などがある。なかでも「女子挺身隊」と「学徒動員」は混同されやすく、また混同されたままの場合であることが多い。以下は『呉本に』に掲載の、広郷土史研究会・上河内さんの原稿の引用……の引用
まず、女子挺身隊と学徒動員の違いは、昭和19年6月に広高等女学校の生徒が学徒動員されるが、この方々の2級先輩の方は3月に卒業されると同時に女子挺身隊として組織され広海軍工廠・第11海軍航空廠へ派遣されている。広高等女学校の生徒はこの頃から男子労働者の補充として組織されたが、昭和19年になると人手不足から卒業を待たず途中で同工廠に派遣・徴用された。この女学生を女子挺身隊と分け、学徒動員と唱えていた。 さらに言えば、高等女学校の生徒ではなくその下の学生、尋常小学校の生徒を卒業と同時に組織し、年端も行かない女子を徴用工として国の政策の下に派遣している。この徴用工には給与が支払われていた。しかし希望して工廠に赴いたと云う訳ではなかったと云う。 この女子は手記の中で学徒動員の生徒は学生服を支給されていたが自分たちにはそれもなく、母の古い着物を解いて自分で作業服を作って持ち込んだと云う。また、宿舎の敷布を裁縫して衣服を作ったと云っており、学生服を支給される学徒動員女子が羨ましかったとも述べている。
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