「広島」という投下目標
太平洋戦争末期、アメリカは原爆投下候補地を選定するための「目標検討委員会」を設置。昭和20(1945)年4月から7月下旬まで、日本のどの町にその運命を負わせるか議論した(以下「目標検討委員会会議要約」アメリカ国立公文書館所蔵)。
第一回委員会は、4月27日。B29の航続距離や爆撃効果、未空襲の地域などの要素を勘案して、「広島・八幡・横浜・東京」を筆頭に、川崎・名古屋・大阪・神戸・呉・下関・熊本・佐世保など17の都市を研究対象とした。 第二回委員会は、5月10、11日。ここで四つの勧告目標が固まった。「京都・広島・横浜・小倉」である。特に京都と広島には「AA級」の記号が付され、「A級」の横浜・小倉より高い順位に置かれた。この時点で後の被爆地はキョウト・ヒロシマであったが、最終的に古都を破壊すると日本人の反発が強まり、占領後の統治が難しくなるとの懸念から京都は外された。 いずれにしても広島という地名だけは、議論の最初から最後まで常に候補地の筆頭にあがりつづけた。 広島が標的として選ばれた理由の冒頭には、こんな記述がある。
an important army depot and port of embarkation(重要な軍隊の乗船基地)
広島には、重要な「軍隊の乗船基地」がある。これに加えて、町に広範囲な被害を与えられる広さがあり、隣接する丘陵が爆風の収束効果を生じさせて被害を増幅させることができる、と説明は続く。 広島で軍隊の乗船基地といえば、海軍の呉ではない。陸軍の宇品である。日清戦争を皮切りに日露戦争、シベリア出兵、満州事変、日中戦争、そして太平洋戦争と、この国のすべての近代戦争において、幾百万もの兵隊たちが宇品から戦地へと送り出された。 何度も討議が重ねられた目標検討委員会で、広島が一度たりとも候補から外れなかった理由。それは広島の沖に、日本軍最大の輸送基地・宇品があったからである。
(『暁の宇品』「序章」6-7ページ)
空襲を受けない軍事都市・広島
1945年、太平洋戦争最後の夏が近づくにつれ、日本各地での米軍による本土爆撃はいっそう激しさを増していた。東京、大阪、名古屋、仙台、福岡……終戦までに空襲を受けた都市は二百余りに上り、970万人もの人々が被災をすることになるのである。 (中略) こうした中、広島市だけは、なぜか空襲らしい空襲を受けていなかった。だが、大学の職員や学生たちは得体の知れぬ不安を抱え、「今に何かが起こるはずだ」と囁き合っていた。広島市に陸軍の各種施設が集まっていることから考えれば、いつまでも見逃されるわけがないのだ。
(『原爆 広島を復興させた人びと』「第一章 原爆投下」29ページ)
外された軍事目標「宇品」
四月、フィリピンのアメリカ軍は、日本本土の主要港封鎖を目的とする本格的な攻撃に着手する。彼らはこれを「飢餓作戦」と呼んだ。 まず呉や佐世保、下関海峡の上空からB29が機雷を投下して周辺の海を封鎖。五月に入ると東京・名古屋・大阪・神戸の各港も封鎖され、とうとう下関海峡から阪神地区への物資輸送が断たれた。投下された機雷は1万2000発以上にのぼり、掃海作業はとても追いつかなかった。日本近海は船の墓場となっていく。沈没した船のマストや煙突が海面からあちこち突き出す様は、まるで一面の林のように見えた。
(『暁の宇品』「第一〇章」318ページ)
明治以来、宇品を拠点に海洋業務に従事してきた陸軍船舶司令部は、初めて海ではなく陸へと向かった。戦闘ではなく、市民の救援のために全部隊が動いた。人類史上初めて原子爆弾の犠牲となった広島の地で、その任務をまっとうした。 ここで私たちは重要な事実を思い出さねばならない。アメリカ軍が原爆投下目標を決めるとき、なぜ広島を選んだのかという冒頭の問いである。
an important army depot and port of embarkation(重要な軍隊の乗船基地)
原爆投下の前月、広島市上空に偵察機を飛ばして綿密な撮影を繰り返したアメリカ軍が最終的に原爆投下目標と定めたのは、宇品ではなかった。陸軍倉庫や軍需工場が立ち並び、特攻隊基地が置かれた宇品周辺はほぼ無傷で残った。 アメリカ軍の海上封鎖によって宇品の輸送機能はほとんど失われており、もはや原爆を落とすほどの価値はなかった。さらに言えば、兵糧攻めと度重なる空襲で芯から干上がった日本本土に原爆投下の標的にふさわしい都市など残されていなかった。 それでも原爆は落とされねばならなかった。莫大な国家予算を投じた世紀のプロジェクトは、必ず成功させねばならなかった。ソ連軍の南下を牽制するためにも一刻も早く、その威力を内外に示さねばならなかった。それは終戦のためというよりも、核大国アメリカが大戦後に覇権を握ることを世界中に知らしめるための狼煙であった。 遮るものが何もない、のっぺりとしたデルタの町。原爆はそのほぼ中心部、住宅や商店が密集し、人々の営みが行われていた繁華街の真上で炸裂した。後に原爆の威力を分析するとき、被爆地に同心円を何重にも描くことのできる好都合な場所、一度により多くの市民を殺傷するのに有用な場所が投下地点として選ばれた。 アメリカの戦争指導者たちが幾度も議論を重ね、原爆投下の正当な理由として掲げ続けた軍事目標・宇品は、かくもあっさりと外されたのである。
(『暁の宇品』「第一一章」353-354ページ)