戦争は怖い、恐ろしいと伝えるときに発する「怖い」「恐ろしい」の言葉が、現代のどの感覚や感性や連想をもって受け止められているのか、よくよく意識して注意深くならなければいけないと、中峠さんと会話しながらハッとした。  ドキリとした。  中峠さんたち戦災体験者の「怖い」「恐ろしい」を、わたしはわたしの中にある「怖い」「恐ろしい」とごちゃまぜにしてはいないか。  それで知った気になってはいまいか。  戦争というこの上なくひどいことを、わたしには体験のないことを、追体験するためにはどうすればいい? 同じ風景に立つためにどうすれば──。

(『呉本』33-34ページ)

戦争の反対語が平和というのはちょっと曖昧かなと、わたしは最近思うようになりました。平和そのものがどんなものかをわたしたちは考えなさすぎる。平和ボケというか、わたし自身も含めて、いまあるものに不満タラタラで、自分から平和に生きようとしていない。そうであるにも関わらず、戦争や核に反対すれば自分は平和を望む者だと主張できている気になっている。平和が「気分」になってはいやしまいかと反省するんです。身近な平和と、戦争がないから平和というのが、同じ「平和」の言葉を使いながらもまったく別々に捉えてしまっているんじゃないかと反省するんです。

(『呉本』42ページ)