Copyrighted by Tatsuo Suzuki
Q: 私のイメージでは、この世界で「街頭撮影」を趣味とする人が一番多いはずですが、でも実は街頭写真はいい作品を撮るのがとても難しいことだと知られています。街頭撮影にについてどう思いますか。街頭撮影をどのように定義していますか。
A: ストリート写真の定義は人により様々ですが、僕の場合、街を行き交う人々のその瞬間を切り取る、撮影する、セットアップなしで。というものです。
セットアップがないので構図、タイミング、距離感等、とても高度なものが要求されてくると思います。
また、テーマにより、雑然と撮影するのか、障害物のないような状態ですっきりとした感じで撮るのか、街全体を撮影するのか、人にフォーカスするのか等様々です。
また、ファニーショットに特化するような場合もあります。 自分の場合は、街と人々をテーマに人物にフォーカスするものが多かったのですが、最近は全体を俯瞰するような撮影も行っています。
どちらにしても、その街の雰囲気や人々の息遣いが感じられる写真撮影を目指しています。
Q: 二年前に日本のたくさんの場所、東京を含め、行きました。日本の東京は活気が溢れている都市だと気づきました。或いは、とても奇妙な都市とも言えます。たくさんの映画は日本を未来都市として、サイバーパンク(Cyberpunk)の背景にしました。外国人にとって、日本の多くの都市はとても珍しくと感じているそうです。ローカルのカメラマンとして、毎日現地で撮影していて、この都市について、どのような見方や感情を持っていますか。
A: とても猥雑でビジー、混沌とした都市だと思います。それと同時にオープンな形でのコミュニティというものは見られず、閉鎖的で孤独を感じやすい都市だとも思います。 多くの多種多様な人間が行き交いますが、そこで交流が生まれるということは寧ろ珍しいかもしれません。 皆がどこから来てどこへ行くのかもよくわかりませんが、休日はとても多くの人々で賑わいます。 掴みどころのない感覚に陥ることもある街です。 浮遊感や漂流という感覚が合っているかもしれません。
Q: 毎日同じ場所を撮影していて飽きませんか。
A: 新たな発見があるため飽きません。撮りきれていません。
渋谷は撮影している間に目まぐるしく変化していきます。常に工事している渋谷駅、周辺のビル。その中でスクランブル交差点が象徴するように多種多様な人間が雑踏し交錯します。いくら撮っても撮り切れない。そんな状況が撮影開始以来ずっと続いています。
しかし、いまはCovid-19の影響もあり、撮影は以前のような頻度で行っていません。
Q: 自分の撮影方法も人の顔を撮るのが好きで、しかもシャッターを使って撮影しています。多くの人にそれは相手の邪魔、侵害になるからって批判されました。その撮影方法についてどう思いますか。
A: 自身の信条、テーマに大義名分があるならば、そしてそれが好きならば続ければいいと思います。
例えば、僕の写真は人の顔にフォーカスしているように思われますが、街の雰囲気や状況をも含めて撮影することを心がけています。また、ストリートスナップは撮らせてもらっているという意識が常にあります。撮影中には緊張感を持って臨んでいますが、そこにはいつも感謝の気持ちがあります。
Q: 人の顔はどの面でそんなに魅力ですか。
A: 僕には、その人間の性格や魅力等が顔に現れているように思います。 見た目が全てでは勿論ありませんが、まず顔に目が行きます。 そこでシャッターを切るべきかどうかを判断しているように思います。 その人のこれまでの人生、今後の人生、今の生活、こうしたものを顔を手掛かりに判断しているのかもしれません。 特に僕は目に惹きつけられます
Q: 法律の面では、日本には中国よりもっと厳しい法律があるはずです。プライバシー保護、肖像権など、それらについてはどう処理していますか。