明々としたライトの光に晒すように、レイヴンは手のひらでサイコロをもてあそぶ。遠くで大きな歓声が上がる。と思えば別の方向から驚愕と落胆の叫びが飛んでくる。扉をくぐってきたときは意気揚々とした足取りだった青年が肩を落として去っていくのを見送る。長く吐いたため息が喧噪のなかへ吸い込まれていく。 「ちょっといい?」  顔をあげると、少女が一人立っていた。赤を基調とした装いに、肩までの髪を半分後ろで結んでいる。こんな年若い少女をこの場所で見るのは初めてだった。 「あんたに、勝負を申し込みたいの」  少女はそう言って、もう一歩前に出る。勝気そうな瞳がレイヴンを見下ろす。 「あら、ここはお前さんみたいなお子様が来るところじゃないぜ」  ひらひらと手を振って追い返す仕草をすると、むっと不機嫌そうに顔をしかめる。 「お子様じゃないわ、あたしにはリタっていう名前があるのよ」 「ほーん……こんな初対面のおっさんに名乗って、どうするつもり?」 「だから言ったでしょ、あたしと勝負しなさい」  レイヴンはリタと名乗った少女をしげしげと眺める。綺麗な布地の装いは少女の雰囲気によく似合っていたが、どこか着慣れていない感じもした。こうした場所に通い詰めている風でもない。けれどそれにしては少女のたたずまいは堂々としていて、まっすぐにレイヴンを見据えていた。 「なんでわざわざ俺と?」 「あんたが強いって聞いたから」 「誰から?」 「知り合いよ」  レイヴンはふっと笑みを浮かべ、手のひらの中で遊んでいたサイコロをぽとりとテーブルに落とす。 「いいよ、じゃあコレでどう?」  三つのサイコロがぱらぱらと落ちる。リタはそれを見て目を細める。 「ちょうどいいわ、あたしもそれで勝負したいと思ってたの」  リタがテーブルにつく。レイヴンが目配せするとディーラーがやってきて、ゲームの準備をはじめる。ルールは単純だ。三つのサイコロの出目を予想する、それだけだ。初めは二人とも少額のチップを賭ける。 「ここに来るのは初めて?」 「何回か、でも人と勝負するのは初めて」  リタは冷静な眼差しでしばらく思考にふけったあと、出目の合計を15と予想してチップを移動させる。レイヴンは13に。ディーラーがサイコロを振る。  天を向いた面は4・5・6――15だ。リタがぐっと拳を握ってみせる。 「よし、当たったわ」  嬉しそうに頬を少しだけほころばせる。それから三回ゲームを行ったが、リタはそのうち二回的中させた。勝利するたびに喜ぶ横顔を、レイヴンは頬杖をつきながら見つめる。 「ねえ、聞いてもいい?」 「なによ、こっちのペースを乱そうったって……」 「なんでこんなとこ来たの? 賭け事が好きそうって感じでもないし」 「べつに、なんでもいいでしょ」 「人と勝負したことないってのに、こんなおっさんに声かけてくるんだからさ、気になるでしょ」  リタは訝しげな視線をレイヴンからはずして、少しだけうつむく。 「……資金が必要なのよ」 「お金に困ってんの?」 「生活には不自由ないわ、けどあたしの研究のためにはもっと大きな元手がいるのよ」  研究、という言葉に思い当たる記憶をたどる。 「ん、もしかしてリタって、あのリタ・モルディオ?」 「そうだけど」 「ああ……最年少で歴史的な功績あげた天才少女が隣街に住んでるって噂に聞いたことあったけど、まさか賭け事しにくるとは思わなかったわ」  リタは不満そうな目で見てくる。 「あたしはあんたみたいなおっさんに名前を知られてると思わなかったわ」 「案外有名よ? なんたって稀代の天才少女なんだから」  レイヴンがけらけらと笑っていると、静かな表情で手元のチップをトン、と指ではじく。 「あたしは功績になんて興味ないし、名前なんて知られなくてもいい、ただ突き止めたいことがあるだけ」  降り注ぐライトの光に少女の瞳がきらめく。熱い灯のように強くて、確かな星のようにそこにあった。またどこかで起きた歓声がひどく遠くぼやけて聞こえる。 「もうお喋りはいいでしょ? さっさと次のゲームを始めましょ」  しばらく呆けていたレイヴンをリタが急かす。帽子のつばに手をかけて深く被りなおして、残りのチップを眺める。 「ね、この勝負勝ったほうがさ、ひとつお願いを聞くっていうのはどう?」  リタは予想通り眉をひそめる。 「なにそれ」 「そっちが勝ったらおっさんがなんでも聞いてあげる」 「あんたみたいなおっさんに何ができるっていうのよ」 「俺様の評判聞いてきたんでしょ? お願いの内容はなんでもいいし、そもそも俺を完膚なきまでに負かしたってだけでそれなりの見返りはあると思うけど」  レイヴンは残りのチップをすべて移動させる。2のゾロ目の上に。 「全部……しかも一点賭けなんて……正気?」 「なんでもお願いきかなきゃなんだし、本気出さないとでしょ」  レイヴンの顔をじっと見つめたあと、リタは決意したように頷いた。 「わかったわ、あたしも賭ける」 「それでいいよ」  リタはテーブルをトントンと指で叩きながらしばらく悩んだあと、6のゾロ目の上にチップを移動させた。二人とも顔をあげたのを合図に、ディーラーがサイコロに手をかける。  どちらとも確率は同じだ。かぎりなく低い。けれどそうした一筋の可能性にすべてを賭けなければならないときが訪れる。繊細な見極めと大胆な決断が必要になる。  レイヴンの心はいつになく高揚していた。ぐっと拳をつくりながら待つリタの表情もどこか熱気をもっているように思える。  サイコロがカランと転がる。そのとき、ふっと風が吹いた。ささやかなその空気の流れが、ゆっくりとやってくる。  動きを止めたサイコロは、すべて2を示していた。 「うそ……」  リタの目が見開かれる。チップがすべてレイヴンの前へ移動する。 「おお……まさか当たると思わなかったわ」 「嘘よ、あんた最初から仕組んでたわね」 「なにをどうやって? おっさんが?」 「うーっ……このあたしがこんなおっさんのバカげた誘いに乗るなんて……」  悔しそうに頭を抱えていたリタは、しばらくするとぶんぶんと首を振り、ガタンと立ち上がる。 「それで、早く言いなさいよ」  胸ぐらをつかまれそうな勢いで迫ってくる。 「あんたの望みはなに?」  勝ったのはこちらだというのに、なぜレイヴンが追いつめられるような格好になっているのか。勝負をもちかけてきたときと同じく少女の強い視線に見下ろされる。 「おっさんさ、今朝住むとこ追い出されちゃってさ、困ってんのよね」  はあ? とリタはわけが分からないという顔をする。 「天才少女の助手に、おっさんなんてどう?」  ぱちぱちと瞬きをくり返すリタに、レイヴンはにっこりと微笑んでみせた。