家族構成

生まれ

台東区浅草(のちかくの本所吾妻橋というところ)

学歴

台東区立浅草小学校

墨田区立本所中学校

都立日本橋高校中退

生い立ち概要

※人に読んでもらう文章の書き方にはなっていません、ご了承いただいた上で読んでいただくか、次のカテゴリまで飛ばしてください

父方の祖父が会社を経営していた。バブルの投資で大失敗したかなんかで、数億の借金が残り何故か父親が借金を背負うことになるところから家族は狂い始めた。

母親はパートで働き詰め、父は会社清算するも個人の債務に関しては何も進められず自己破産もできない、父が「弁護士になる」と通信講座を購入するも挫折(そう簡単ではないだろう仕方ない)、タクシーの運転手になる。そのころ働き詰めだった母がステージ4のスキルス性胃がんであることがわかる。父親は働くことをやめ、姉兄も精一杯母に向き合い家で看取る。その後父と不仲の姉がすぐに家を出て、父兄私の3人になりそこからはストレスであまり覚えてない。私が中学3年生の夏である。

それからの断片的な記憶は、兄と私が父親にキツくあたっていたこと、父は部屋から出ずに般若心経の写経をしていたこと、父を憎むが憎しみは続かず他人になっていくこと。

高校生になりアルバイトしつつ家に帰らない生活をしだした。兄とだけは仲良かったので兄と話すためだけに家に帰っていた。父親は他人同然な扱いなときもあれば期待をして傷つくこともありただ悲しかった。

久々に姉と会い父と話していた。家賃の延滞や貯金の減り、わりとやばいとこからの借金などが明らかになる。