現代における手仕事、手織りの意味、意義のようなものをずっと考えてきて、その具現としての思考の変遷を残しておこうと思ったのがこちらであるが

「アート×手仕事×民藝×着物=衣服と暮らし」

色々巡って結局「自分がこれ(イチから布を作る)を体験したい」というだけだったかもしれないと気づく

そもそも、葛から糸を取り布を織ることを始めたのも、それ(自分が体験したい)が原動力となっていたわけで

以前「何が原動力になっているかわからない」と格好つけて書いているが

葛布に辿り着いた経緯|雪草 sessou / 葛布の帯|note

ただ単に「自分がそれをやってみたかった」だけである

そう考えると、「私が体験したかった」ということそのものには特に価値も価格もないわけなので

価値も価格もへったくれもないのだが

しかし、「私がそれを体験したかった」と同じように、「素材からダイレクトに作られた手織りの布を纏う」体験をしたいと思ってくださる方にとっては、この布の存在は大変価値高いものとなるので

えーと

(2022.2.10)


広告や宣伝が一切ない世の中になったらどうなるのだろう?ということを考える

人は目に入るものに刺激を受けて何かしらの欲求が生まれる